御井神社
みいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】御井神社 但馬国 養父郡鎮座
          (旧地)御井神社【旧地】

   【現社名】御井神社
   【住所】兵庫県養父市大屋町宮本481
       北緯35度18分30秒、東経134度41分21秒
   【祭神】御井神
       (配祀)脚摩乳命、天穂日命、素蓋鳴命、手摩乳命、熊野橡日命、田心姫命、奇稻田姫命
       天津彦根命、天忍穂耳命、市杵島姫命、活津彦根命、湍津姫命

   【例祭】5月3日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立の年代など不詳
       天文年間火災
       天文15年(1546)4月8日現在地へ遷
       寛政9年(1799)3月造営
       享和2年(1802)11月造営
       明治6年10月村社
       大正4年11月神饌幣帛供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは御祓山山頂に鎮座
        天文15年(1546)4月8日現在地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天王社」「岩井明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造銅板葺
       幣殿・拝殿・神庫、参籠所、随神門

   【境内社】加遅屋神社・田村神社・八幡神社・天神神社・大己貴神社
        須賀神社・諾冉神社・嚴島神社・若宮神社・鈴鹿神社


もとは東北2Kmの御祓山(標773m)の西南麓に鎮座し、この山頂に本社の旧社地があつたといわれている。現在山頂には祠も残っていない。
天文15年(1546)4月8日に、火災にあい社殿の大半が炎上し、これを契機に現社地へ移つたとする。


御井神社

随神像 町文化財
この随神像は御井神社が天文15年4月8日(1546)に御祓山から現在の地に遷宮された際に随神されたものです。 耳、手などの手法から、室町期以前に彫成されたものと思われる。
二躯とも寄木調成で彩色を施してあったが、ほとんどか落箔して破損が甚だしく、当時の面影を見る事が出来ないが、郷土の歴史を知る重要な資料として大切に保存すべきものである。

社頭掲示板



まいそう祭り

養父市大屋町/宮本御井神社/1月14日
古くから、神社の氏子たちに受け継がれてきた祭りで、古鬼面姿に木鉾を持った鬼をたたき、その年の無病息災を願います。伝説によると、その昔、この地が泥海であった頃、神が3艘の船に乗って渡っていたところ、2艘の行方がわからなくなりました。1艘は大屋町の隣、養父町建屋の船谷で見つかりましたがもう1艘はみつかりません。見つかった1艘の船は「アッター、アッター」と舞う、「御船祭」または「笑祭」と呼ぶ祭りとして伝えられていましたが、今では途絶えてしまい、資料の中でしか確認できません。
 しかし、見つからなかったあと1艘は、「まいそう祭り」として残されています。「マーイソーナイ」(もう1艘ない)と呼びかけながら、夜を徹して捜すということが「まいそう祭り」の起こりとされています。
 祭りは本殿で神事のあと、神主の御神火から点火された松明(たいまつ)を手に持ち、円陣を組みます。鬼役を演じるのは厄年の男性3人。太鼓の合図にあわせて、右手に木箱、左手に木鉾を持った一番鬼が拝殿から飛び出し、時計と逆回りに円陣をまわります。氏子たちは、「まいそう祭り」の語源である「マーイソーナイ」(もう1艘ない)とはやし立て、炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、木箱に激しくたたきつけます。二番鬼、三番鬼の順で続き、円陣を三周したあと、ほえ声をあげて本殿にそれぞれ消えます。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火祭りです

http://www.tanshin.co.jp/zaidan/2bunka/19maiso/index.html



御井神社

創祀は不詳であるが、元々は現在の地より北東約2kmにある御祓山山頂に鎮座していたが、天文年間(1532〜1554)に火災に遭い社殿を焼失す。これによって天文15年(1546)に現在の地に遷座建立された。
御祓山山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。
別称は岩井牛頭天王社と呼ばれていた。

兵庫県神社庁



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