もとは東北2Kmの御祓山(標773m)の西南麓に鎮座し、この山頂に本社の旧社地があつたといわれている。現在山頂には祠も残っていない。 天文15年(1546)4月8日に、火災にあい社殿の大半が炎上し、これを契機に現社地へ移つたとする。 |
御井神社 随神像 町文化財 この随神像は御井神社が天文15年4月8日(1546)に御祓山から現在の地に遷宮された際に随神されたものです。 耳、手などの手法から、室町期以前に彫成されたものと思われる。 二躯とも寄木調成で彩色を施してあったが、ほとんどか落箔して破損が甚だしく、当時の面影を見る事が出来ないが、郷土の歴史を知る重要な資料として大切に保存すべきものである。 社頭掲示板 |
まいそう祭り 養父市大屋町/宮本御井神社/1月14日 古くから、神社の氏子たちに受け継がれてきた祭りで、古鬼面姿に木鉾を持った鬼をたたき、その年の無病息災を願います。伝説によると、その昔、この地が泥海であった頃、神が3艘の船に乗って渡っていたところ、2艘の行方がわからなくなりました。1艘は大屋町の隣、養父町建屋の船谷で見つかりましたがもう1艘はみつかりません。見つかった1艘の船は「アッター、アッター」と舞う、「御船祭」または「笑祭」と呼ぶ祭りとして伝えられていましたが、今では途絶えてしまい、資料の中でしか確認できません。 しかし、見つからなかったあと1艘は、「まいそう祭り」として残されています。「マーイソーナイ」(もう1艘ない)と呼びかけながら、夜を徹して捜すということが「まいそう祭り」の起こりとされています。 祭りは本殿で神事のあと、神主の御神火から点火された松明(たいまつ)を手に持ち、円陣を組みます。鬼役を演じるのは厄年の男性3人。太鼓の合図にあわせて、右手に木箱、左手に木鉾を持った一番鬼が拝殿から飛び出し、時計と逆回りに円陣をまわります。氏子たちは、「まいそう祭り」の語源である「マーイソーナイ」(もう1艘ない)とはやし立て、炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、木箱に激しくたたきつけます。二番鬼、三番鬼の順で続き、円陣を三周したあと、ほえ声をあげて本殿にそれぞれ消えます。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火祭りです http://www.tanshin.co.jp/zaidan/2bunka/19maiso/index.html |
御井神社 創祀は不詳であるが、元々は現在の地より北東約2kmにある御祓山山頂に鎮座していたが、天文年間(1532〜1554)に火災に遭い社殿を焼失す。これによって天文15年(1546)に現在の地に遷座建立された。 御祓山山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。 別称は岩井牛頭天王社と呼ばれていた。 兵庫県神社庁 |