佐伎都比古阿流知命神社
さきつひこあるちのみことじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐伎都比古阿流知命神社 二座 但馬国 養父郡鎮座

   【現社名】佐伎都比古阿流知命神社
   【住所】兵庫県朝来市和田山町寺内
       北緯35度21分41秒、東経134度50分17秒
   【祭神】佐伎都比古命・佐伎都比古阿流知命・大国主命
       彦主人命・振姫命『神祇全書』
       大国主命は元禄3年(1690)光福寺の単心和尚によつて合祀

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年月等は不詳
       元禄3年(1690)光福寺の単心和尚によつて大国主命合祀
       明治6年10月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「山王神社」「山王権現」「十六柱神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・土藏・社務所

   【境内社】若宮神社・荒神神社・稻荷神社

天日槍が但馬国に留まり、但馬国の前津耳の娘・多遅摩前津見を娶った。この前津耳が、佐伎都比古命であり佐伎都比古阿流知命は、その妻であるという。
一説には、佐伎都比古命は前津耳の祖であり、佐伎都比古阿流知命は、佐伎都比古命の御子であるという。延喜当時の祭神は、佐伎都比古阿流知命と佐伎都比古命の二柱だったとおもわれる。
『国司文書・但馬神社系譜伝』には平安期までは養父郡浅間郷坂本(いまの養父市八鹿町坂本)に鎮座しており、この地には養父市建屋にある楯縫神社が鎮座していたとある。
境内に「式内十六柱神社」の碑あり。


寺内ざんざか踊り

天下泰平・五穀豊穣・子孫繁栄を願って、毎年7月の第3日曜日に寺内の佐伎都比古阿流知命神社(山王神社)で奉納される太鼓踊りの神楽です。「ザンザカザットウ」の唄に合わせて太鼓を打ち鳴らすことから、雨乞い神事ともされています。
 踊りは、山王権現の遣いである猿にふんした10人の踊り手が、輪を作って太鼓を打ち鳴らしながら踊る「側踊り」、輪の中で踊り全般の指揮をとる2人の「新発意(しんぼし)」、輪の中央で太陽と月に見立てて飾り付けられた高さ4mの「しない」を背負い、それをぶつけあい、からめあいながら踊る2人の「中踊り」で構成されます。
 江戸時代の元和年間(1615〜1624)から約400年間にわたり、欠かすことなく踊り継がれてきたと伝えられ、むかしから寺内区に伝えられてきたざんざか踊りは、山王神社(佐伎都比古阿流知命神社)と光福寺に奉納される太鼓踊り(タイコ・オドり)があります。毎年7月15日に行われてきましたが今では7月第3日曜日に奉納されます。兵庫県と和田山町指定の民俗無形文化財。

http://sakezo.web.fc2.com/hiboko5.html



寺内ざんざか踊り

毎年7月15日、山王神社(佐伎都比古阿流知命神社)で奉納される太鼓踊りで歌に合わせて打つ太鼓が「ザンザカザットウ」と響くことから「ざんさか踊り」と名付けられたと云われ、300年以上の伝統がある。
踊りは、二人の新発意の指揮に合わせて、しないを背につけた二人が、互いにからませたり地面をうちながら踊る。
その周りでは山王権現の遣いである猿に装いをした12人の踊り子が、腰の太鼓を打ちながら輪になって踊る

社頭掲示板



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