斎神社
いつきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】楯縫神社 但馬国 養父郡鎮座

   【現社名】斎神社
   【住所】兵庫県養父市長野265
       北緯35度17分12秒、東経134度45分19秒
   【祭神】天太玉命 手置帆負命
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平2年(730)創立
       永承16年(1061)現在地に遷座
       明治6年10月村社
       昭和10年10月10日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】現在地より300mばかり隔てた丘陵に鎮座していた
        永承16年(1061)現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

境内社に楯縫神社があり、祭神彦狹知命。こちらも但馬国養父郡の式内楯縫神社の論社になっている。
斎神社を式内楯縫神社に比定する説と境内社楯縫神社を式内楯縫神社に比定する説がある。


由緒

聖武天皇の天平2年の創立と伝へ現在地より300mばかり隔てた丘陵に鎮座せり。鎌倉時代神田一反歩を有し、足利時代、山名氏の崇敬を受け、江戸時代、生野代官の信仰を得たり。
明治6年10月村社に列し、昭和10年10月郷社に昇格せり。
毎年4月15、16日の両日、但馬開発にかかわる伝説として、16Km離れた養父神社より神輿の渡御あり。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



斎神社

祭神 天太玉命 手置帆負命 彦狹知命
由緒 聖武天皇の天平2年(西暦730年)の創立と伝えられ、足利時代山名氏の崇敬を受け、江戸時代は生野代官の信仰を得たり。
お走り祭りの伝説
お走り祭りは、養父神社の神輿が4月15日・16日の二日間「ハツトウ、ヨゴザルカ」と掛け声を掛けあいながら、斎神社までの往復40Kmの道のりを練り歩く祭りである。神輿は重さ150Kgもあり、途中川渡御をしながら進む奇祭である。斎神社拝殿に奉納されている絵馬から、江戸時代の祭りの様子がうかがえる。この祭りの由来については「神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地にならないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ。土木の神様である斎明神にお願いしてはということになり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。斎明神は快く引き受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走(12月)の未の日と申の日にかけてお礼参りされた」のが、お走り祭りの始まりと伝えられている。なお、明治10年より4月15日・16日に祭日が変更された。

社頭掲示板



斎神社

村社齊神社長野村字長田ニ鎭座。一、祭神ハ天太玉命彦挾知命手置帆負命ヲ合祀ス 一、創建ハ最モ古キモ中古回禄ニ罹リ古記録焼失シテ稽フル由ナキハ遺憾ナリ木谷氏二藏セル重宝記ニヨレバ齊神社ハ式内楯縫神社ト同社ナルコトヲ記載セリヌ但馬式内道志留弁地名辞書等モ同社ハ長野村ニアリト云々

養父郡誌



摂社楯縫神社本殿

長野区にある斎神社の摂社楯縫神社本殿が、平成22年8月20日に兵庫県登録文化財になりました。
平成21年8月の台風9号による豪雨災害で斎神社本殿が倒壊しました。このため現在本殿は解体修理中であり、摂社が仮本殿になっています。そして土石流を防止するための災害復旧工事が、兵庫県営治山事業として始まっています。
この建物は宝暦10年(1760)に斎神社本殿として建立されましたが、昭和12年に本殿が新築されたことから、旧本殿が摂社楯縫神社の本殿となったものです。昨年8月の土石流で基礎まで埋まりましたが、奇跡的に無事でした。
本殿は正面の柱間が一間(1.69m)で、屋根は前方に長く伸びる一間社流造という形式です。高さは5.2mあり、当時では大きな社殿です。大工の棟梁は播州三木の黒田源左衛門で、地元長野村の大工など4名で建築しています。
明治32年に描かれた斎神社の絵馬には、本殿を保護する覆い屋が描かれています。このため保存状態がよい文化財となりました。文化財は、修理などで本来の柱や彫刻が取り替えられていると価値が下がります。
そして壁面には多く彫刻が認められます。波と兎、松と鶴、竹と虎、梅と鶯、紅葉と鹿、波と鯉、釣りをする恵比寿様、米俵にのる大黒様、綱を引く猿です。なぜか、花札の題材とよく似ています。
また脇障子には、滝の水で耳を洗う老人、牛を引いて歩く老人の2枚の彫刻があります。これは世俗の欲にまみれず学問を修めなさいという教えで、中国説話を題材とした珍しい彫刻です。
但馬地方では19世紀前半の文化文政期から幕末期にかけて、丹波柏原の中井家が作った彫刻が隆盛を極めます。しかしそれ以前に作られた良好な彫刻は数が少ないものです。但馬地方の彫刻史を考える上で大変貴重なものです。

養父市HP



斎神社

神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地にならないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ、土木の神様である斎明神にお願いしてはということになり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。
斎明神は快く引き 受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。
喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走の未の日と申の日にかけてお礼参りされた

社頭掲示板



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