本社東方1Kmの進美寺が、慶雲2年(705)創建の古刹で、養父・気多郡内に広大な寺領を有した有力寺院であることから、式内社中もつともこの社寺に近接した本社との関係が推測される。 伊久刀神社が進美寺の護法神社的な性格を有したと考えられる。本社創立は進美寺創建の前後の時期と思われる。 |
由緒 古い記録がなく創立年代等不明、ただし本社東方1Kmの進美寺が慶雲2年(405)創建の古刹で養父、気多郡内に広大な寺領を有した有力寺院であることから式内社中厳もこの寺に近接した本社との関係が推測される。即ち伊久刀神社が進美寺の護法神社的性格を有したと考えられる。 本社は延喜式の制で小社に列し、明治6年村社に列している。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊久刀神社 古い記録がなく創立年代等不明、ただし本社東方1kmの進美寺が慶雲2年(705)創建の古刹で養父、気多郡内に広大な寺領を有した有力寺院であることから式内社中厳もこの寺に近接した本社との関係が推測される。 即ち伊久刀神社が進美寺の護法神社的性格を有したと考えられる。 本社は延喜式の制で小社に列し、明治6年(1873)村社に列している。 兵庫県神社庁 |
進美寺 伊久刀神社は、山上にある天台宗の古刹・進美寺の守護として創建されたと思われがちだが(進美寺に一番近いので)、進美寺の住職さんのお話によるとそうではないらしい。 進美寺は天台宗の総本山比叡山延暦寺にならって周囲に三箇所の守護を置いているといわれ、それは頂上の白山権現/麓の宵田に山王権現(今の日枝神社)/日置の(今はありません)赤山明神だということだった。 伊久刀神社は、もっと以前からこの土地の産土として祀られていたのではないかと言われ、その立地条件から水源地の存在が関係あるのでは・・・と話されていた。 mixi http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4414300&id=46248953 |