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八鹿町金ケ平にあつた奥ノ宮と、天子にある口ノ官の両社を屋岡神社と云つていた。奥ノ宮は今はその跡かたも無くなり、口ノ宮が屋岡神社として現存している。 |
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式内屋岡神社 祭神、天照皇太神、応神天皇 由緒、上古この辺一帯は「屋岡の里」と呼ばれていた。人皇第9代開化天皇の王子日子座王の曾孫船穂足尼命が第13代成務天皇の御代に但馬の国造として来り、現在の天子の地に館を構えた。船穂足尼命の孫の息長帯比賣命は第14代仲哀天皇の皇后となり、英武の氣性をもって国威を海外に発揚し神功皇后を崇められた。女丈夫であり、応神天皇(誉田別命)の母君でもある。天子の地名はこの偉大な神功皇后の御誕生地に因み名付けられたと言はれています。その後人々は神霊への敬慕と加護の願いをこめて域内の西方に宮居を造営し、天照皇太神と応神天皇の神霊を合祀し、是を口の宮と言いその内苑は今の神域を中心に広大な境内に石垣をめぐらした神聖な神域で外苑を隔て馬場があり、今も馬場の地名が残ってゐるが、再三の洪水で宮居も流され今は原形の面影もなし。又西方の壱部の金ヶ平には仲哀天皇と神功皇后の神霊を合祀した奥の宮を建立し、兩宮を通稱して式内屋岡神社と称した。然し奥の宮は中世に御神体は移転、宮居は廃棄され今日に至る。 摂社 八柱神社、稲荷神社、絹巻神社、抱見天王 社頭掲示板 |
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屋岡神社 創立年月不詳 伝え云う 此の地神功皇后三韓凱陣の際、上陸せられて御船を覆されたる跡と称し今に舶岡といい当社を創立すと延喜式の制小社に列し元亀2年赤松氏乱入の際及び天正8年(1580)羽柴氏乱入の時共に兵火に罹り慶長11年(1606)火災に遭へり。 明治6年(1873)10月村社に列し同40年(1907)拝殿を新築せり 兵庫県神社庁 |
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