中古いつしか養父神社に合祭され、両社が混同され「養父水谷大明神」と称された。 当初は現鎮座地の南方、奥米地と中米地の境界を成す谷を「水谷」といい、その谷奥に懸かる滝の更に上部に鎮座していたという。(旧社ハ今ノ社ヨリ十四五丁渓水ノ左ニアリ) その後大嵐によって社殿が流失、その社殿が流れ着いた米地川沿いの平地において奉斎される事となったが、宝永7年(1710年)に現在地へ遷座されたという。 |
水谷神社のネッテイ相撲 指定年月日 平成16年3月9日 兵庫県指定文化財 平成15年2月20日 国選択無形文化財 所在地 養父市奥米地中島1135番地 水谷神社は、平安時代から神社名が知られる式内社で、御祭神は保食神様である。本殿は宝永7年(西暦1710)に作られた重要な建造物である。 秋祭りには、本殿前の境内でネッテイ相撲が奉納される。二人の男子が裃姿で、下半身は裾をからげて素足になる。上半身は裸の上に肩衣を着けて右手に小太刀をもつ。相撲の前に肩衣を脱いで小太刀を巻いて置く。 相撲の動作は、向かい合った二人が「ヨイ、ヨイ、ヨイ」のかけ声で地面を三度踏みしめ、互いに拳を突き出したり、首を抱えて一周とびまわるものである。 土俵もなく行司もいない相撲で、勝ち負けの勝負もない。 足踏みをなんども繰り返す仕草から、現在の相撲の原型だといわれている。平安時代に朝廷が行つていた節会相撲の流れをくむ全国的にも希少な儀礼として、県指定文化財と同時に国選択の無形文化財になつている。 平成20年10月吉日 水谷神社氏子中 社頭掲示板 |
水谷神社 旧社ハ今ノ社ヨリ十四五丁渓水ノ左ニアリテ其辺ノ地二水谷ト云フ名尚存シテ其内ニ森由ト云フ田アリ数十歩ノ間大樹ノ根跡凸凹セル所数多アリト云フ是レ右昔大社アリシ地ナリト惟フニ當時其社樹木苓蔚タリシ跡ニシテサテコソ森田ト云フナルベシ享保二年今ノ地二移リ奉レリ。 養父郡誌 |