社名は「全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁」のみ「いもんじんじゃ」と読んでいる。「式内社調査報告」境内の案内板も「しどりじんじゃ」と読んでいる。 |
由緒 創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し町内円山字鹽谷に鎮座し中古同字下代に遷座せらる近世聖儒大明神、倭織大明神、鮭ノ宮とも称したり正徳3年社殿大破の為め再建し寛政11年又之を再建せり明治6年10月村社に列し同14年社殿を修造せり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
倭文神社 式内社 式内社とは10世紀の初め、醍醐天皇(897〜930)の御代に編纂されました延喜式神名帳に記載されている由緒正しい、歴史の古い神社ということです。 但馬の国には131社あり、その内朝来郡には9社あります。 生野町内ではこの倭文(しどり)神社一社のみです。 倭文(しどり)神社(通称鮭の宮) 祭神 天羽槌命(アメノハツチノミコト) 創建年代 和同5年(712) 正徳3年(1713)社殿を修造し遷宮式を行つた時、偶然下流から鮭が遡(さかのぼ)つてきました。村人達は、これをめでたい前兆として喜び鮭の宮と呼ぶようになりました。 平成5年3月 生野町教育委員会 社頭掲示板 |
倭文神社 創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し町内円山字鹽谷に鎮座し中古同字下代に遷座せらる 近世聖儒大明神、倭織大明神、鮭ノ宮とも称したり正徳3年(1713)社殿大破の為め再建し寛政11年(1799)又之を再建せり 明治6年(1873)10月村社に列し同14年(1881)社殿を修造せり。 兵庫県神社庁 |