JR山陰本線矢名瀬駅の北西へ約400m。尾根の先端にあり。線路に面している。旧山陰道の北に参道が伸びる。出石にも同名神社があるので朝来石部神社となっているが、社号標は式内社 石部神社。 |
石部神社 式内石部神社 石部神杜は村社で滝田村の北、石部山の麓に鎮座する延喜式内社である。正しくは磯部神社で別名「鞠の宮」または「山王社」ともいう。 磯部とは土地の名ではなくその土地の地形を指している。滝田の場合、東側の鞠の田や畑と、西の桑原側の金谷谷の田や畑の真中に突き出た山裾のことを磯部といい、その上にあるお宮である関係で磯部神社と呼んでいた。鞠の宮と呼ぶのは鞠の地名からくるものであり、山王社と呼ぶのは山王権現を祀る山王社があることから別名があると考えられる。 明治35年6月に奥野義一氏が記述した、「石部神社古老伝説」によると、本社祭神は大己貴命(大国主命)で山王権現または万里の宮といい、往古は近郷七ヶ村の土産神ですこぶる繁栄を極めたという。社殿背後の円形の小丘は、その墳墓である。元禄7年(1694)に文化年中社殿を改造するのに際して前記の小丘を半ば破壊した時、土中より多くの素焼きの壷もしくは皿に類するものが出土した。これらの社地を拡張するために更に小丘を取り壊したところ親指大の黄金の像が出土した。以後それを石部神社の「ご神体」として毎年当番が引継保管し宮祭の当日には本にまつり、同日に子供神輿で滝田、大垣、下町の区内を子供、親、役員等で盛大に巡行し、さらに引渡しの日には会場の神棚にまつる等氏子で引渡しの儀式を行う古来の慣例は平成の今も氏子によって引き継がれている。 平成29年2月 社頭掲示板 |