東名高速北に鎮座する。 たくさんの沢、すなわち百々沢という地名が社名となつたものと思われる。 元禄年間に上長窪から元長窪へ社地が移転したとする伝承は、桃澤神社の移転ではなく、上長窪に鎭座する愛鷹明神社が元禄年間に火災或は洪水によつて元長窪の桃澤神社に合祀されたものと思われる。 |
桃沢神社 長泉町内で最も古い神社で、創建は奈良時代初めの霊亀2年(716年)といわれ、建御名方命を祭っている。平安時代に編纂された書物である延喜式(927年成立)の中の全国の神社を記した神名帳にその名称か見える。 元々は上長窪に神社があったが、江戸時代の元禄年間(1688〜1707)に災害により建物が失われたため、現在の地に再建された。 文化12年(1815年)上長窪村と元長窪村で神社の名称についての輪争が起こり、翌年和解し、社殿の前に灯篭を交互に建てることになったことが古文書に記されている 長泉町教育委員会 社頭掲示板 |
桃澤神社 桃澤は毛々佐波と訓べし○祭神建御名方神、(風土記)〇上長久保村に在す、(参考)例祭月日、○惚国風土記五十六下残欠云、薦河國薦河郡桃澤神社、神貢百五十束二畝田、霊亀2年丙辰9月、 所祭建御名方神、 神位 国内神名帳云、正五位下桃澤天神、 神社覈録 |