日本武尊東征の時、この地において、二岡に木花之開耶姫の社を建立したのがはじまりという。 当社を丸子神社に比定する説もある。 |
由緒 日本武尊東征の時、この地において、二岡に木花之開耶姫、四岡に天津彦火瓊々杵尊の社を建立したのがはじまりといい、その後一岡から七岡に分散していた神々を、平将門がこの二岡の地に合祀したものと言われる。古くは、二岡七所大権現、二岡七社大権現と称したが、明治になって二岡七社神社を経て今日の二岡神社となった。この間、神宮寺として青瀧山般若梵筐寺、覚知院等を擁した。 古来当社は、鎌倉幕府、この地方の豪族大森氏、葛山氏等の崇敬を受け、また箱根神社、伊豆山神社等への参詣の道筋に位置し、参詣する者が多く、関所を設けていたという。 応永28年(1421年)から31年にかけて、大森一族から二岡七所大権現や般若梵筐寺が御殿場市内や南足柄市内の土地の寄進を受けたり、応永32年に、足利持氏(関東公方)が、般若梵筐寺に祈祷状を寄せたりしている。 その後天正年間(16世紀)に多くの社寺を失い、明治維新の神仏分離で、残っていた護摩堂、仏像、仏具を地蔵堂(今の二の岡公民館)等に移したという。また本殿奥に大雷社を有してたという。 現在の本殿は(正面奥の雨覆のなかの建物)寛政6年(1794年)、拝殿(正面の建物)は、大正10年に建立された。市指定文化財の石灯篭は、応永29年大森氏によって寄進されたものである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
二岡神社の灯籠 所有者 宗教法人二岡神社 御殿場市指定文化財(第二号) 昭和47年9月11日 二岡神社の起源は日本武尊の東夷征討にまでさかのぼると伝えられ、鎌倉時代には将軍家の崇敬を集めるようになり、この地方の領主であつた大森・北条・大久保氏等の祈願所にもなつていました。 この灯寵は室町時代、応永29年(1422)当時の領主大森道光(頼春)が寄進したもので、この地方では一番古いものです。 灯籠の桂の部分には「奉施入石灯台大檀那沙弥道光応永29壬寅年叩月5日」と刻まれています。 社頭掲示板 |
二岡神社の社叢 御殿場市指定文化財(第六号) 指定年月日 昭和62年3月3日 所有者 二岡神社 ここ二岡神社は北駿地方では最も歴史ある神社のうちのひとつです。 当社には応永29年(1422)大森道光が寄進した北駿で一番古い石灯籠(市指定文化財)があります。 境内には、樹齢数百年、幹周り3m以上もあるスギの大木が林立しています。黒々とした枝葉は大空を覆い、霊気の漂う感があり、近隣にはその例を見ない景観です。 この社叢は天然記念物として大変価値の高いもので、森の中にはコケ類をはじめ、数々の陰地植物を観ることができます。 平成21年3月 御殿場市教育委員会社会教育課 社頭掲示板 |