丸子神社古跡(浅間神社飛地境内社殿) 第一中学校南に鎮座する。 神霊は奉祀されてはいないが、本殿、幣殿、拝殿が今も残されている。 |
丸子神社 丸子神社の御祭神は金山彦尊と申し上げ、今日いう金属関係を主宰される神様であります。 旧記には「金山を主宰する神、伊邪那美神の御子也、荒金を土中に採り、これを以て或いは剣、鏡をつくり、或いは刀杖、鋤、鍬を鍛える等皆この神の教え護り給うところなり。」とあります。 第60代醍醐天皇の延喜式神名帳に所載する「式内社」で第10代崇神天皇の御代にこの地に創建されたといわれている特別御由緒のある神社であります。 第62代村上天皇の天暦年間には天下泰平御祈願所に第96代後醍醐天皇の建武2年には武運長久永代御祈祷所を仰付けられた、これより第102代後花園天皇の永暦年間まで社運の隆昌を極めましたが天正10年武田、織田両氏の戦で戦火のため社殿焼失の災に遭ってから一時衰微しましたが、後に復し第117代後桜町天皇の明和年間から第118代後花園天皇の安永年間に至る間は最も隆昌した時代で、境内も八町八反歩四方、社領530石、社家86名を数えたといわれます。 明治元年10月7日明治天皇が当地を御通輦の折は、植松少将を官幣使として当神社に御差遣あらせられました。 明治6年3月には郷社に、明治10年12月には現在の浅間神社に御遷座奉斎され翌年明治12年7月22日は県社に昇格されたのであります。 ここに旧社地として御分霊を奉斎してありますが、近時、小祠が老朽化したため改築の議がなされ、氏子崇敬者の協力により、昭和53年6月新たに社殿の改築がなされました。なお改築に伴なって埋蔵文化財の発掘がなされ、その結果貴重な祭祀遺跡として由緒ある古い神社であることが確認されたのであります。 社頭掲示板 |