小川の北に鎮座する。 当地の地主神であり、富士山の神であつたと思われる。 現在、淺間神社が鎭座する大宮の社地は、もとは幅地明神(富知神社)の社地であつたという。淺間神社は平城天皇の大同年中に山宮から今の地に移したのであつたから、大同年間以前は富知神社は大宮に鎭座していたのであり、これ以降は現社地に奉祀されたことになる。 |
冨知神社 一 御祭神 大山祇命 一 御例祭 9月19日 一 2.273平方メートル(687坪) 一 鎮座地 富士宮市朝日町12番4号 御由緒 御祭神の大山祇命(おおやまづみのみこと)は浅間大社の御祭神木花佐久夜毘売命の御父神に当たらせられます。 孝霊天皇の2年に創建され延喜式神明帳にも記載された富士地区3社の一つで由緒のある神社であります。 「富士山本宮社記」によると平城天皇の大同元年(806年)征夷大将軍坂上田村麻呂が勅命により東国を平定して帰京の途次神恩に感謝して浅間大神を山宮の地から大宮の現在地に遷座された時すでに祭られていた当社を立宿の地に移されたと伝えられています。当社は大宮の地主の神鎮守(ちいんじゅ)の神産土(うぶすな)の神として古くからこの地方の人々は篤い崇敬を捧げて祭ってきました。 当社は本宮と摂社(せっしゃ)本宮に縁故の深い神を祭った神社という強いきずなで結ばれてきました。 神主は福地太夫(ふくちたゆう)と言われ明治の初年までは山田家が世襲していましたが現在は浅間大社の宮司が兼務となっております。 平成十年九月十九日 謹 冨知神社總代 社頭掲示板 |
富知神社 冨知神社は、大山津見命を祭神とし社号は不二神社ともいわれ、富士山を祀る神社である。 延喜式神名帳に、富士郡三座、倭文神社・浅間神社・富知神社と記されている。神社の前には、「富知神社」と刻まれた天保辰3(1832)の石碑が建っている。 現在の浅間大社の社地が、かっては富知神社の社地であったといわれている。古くから富士山の神を祀ってきた富知神社の社地に、新たに富士山の神(コノハナサクヤヒメ)を祭る浅間神社がおかれ、富知神社が現在地に移されたのではないかと考えられる。 「富知神社」の石碑の近くに、貞享5(1688)造立の地蔵や菩薩立像・甲子などの石造物がある。 社頭掲示板 |
富士神社 富士は假字也○祭神大山祇命、(風土記)○福地村に在す、(参考)今本宮の摂社たり、例祭 月日、○惚國風土記五十六上残欠云、薦河富士郡不二神社、大山祇之命也、深待彦天皇2年丁卯6月之旬始祭之、馬養祝部掌祭之為一宮」常陸國風土記云、(筑波郡條)古老曰、昔祖神尊巡行諸神之処、到駿河國福慈岳、卒遇日暮、請欲寓宿、此時福慈神答曰、福慈岳常雪不得一登臨、其筑波岳往集歌舞飲喫、至于今不絶也、〇駿河國志云、山宮は大山祇の御神にて、開耶姫の御親の神なり、いつれも伊勢朝熊の社御同躰の神なり、云々、 連胤按るに、山宮すなはち富士神社か、大宮司富士氏云、今淺間の摂社に福知社あり、富士の地主神と云べり、本宮造営の時淺間の神躰を此社に遷し奉るといへり、これ富士神社か、猶尋ぬべし、 神位 國内神名帳云、正五位下福地天神、 神田 東鑑巻六、文治2年7月19日の條に、駿河國富士頒上政所福知社奉寄神田、 神社覈録 |