池田神社
いけだじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】池田神社 駿河国 有度郡鎮座

   【現社名】池田神社
   【住所】静岡県静岡市駿河区池田 1207
       北緯34度58分54秒,東経138度25分43秒
   【祭神】事代主神 (配祀)大己貴命 木花開耶姫命 武内宿禰命 大山祇命
       (合祀)須佐之男命
       『神名帳考証』『大日本史』吉備武彦

   【例祭】10月16日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】25代武烈天皇の頃の創建
       明治8年村社
       明治42年神饌幣帛供進指定神社

   【関係氏族】池田坂井君
   【鎮座地】現在地に鎮座していた

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「西宮」「事代主宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】

日本平PAの西に鎮座する。
神社の境内の東北部は神居と称されており、そこが、かつての神域であるという。
池田神社の祭神は、多分、盧原国造の意加部彦命の子孫池田君を祀つたと思われる。


由緒

池田神社
主祭神 事代主命。
配 祀 須佐之男命、大己貴命、木花咲耶姫命、大山祇命、武内宿祢命。
由 緒 池田神社は静岡市池田藤六坪1207番地に在って延喜式神名帳には駿河国有度郡池田神社と記されている。
有度郡三座の一にして、神階帳には正五位池田天神と記されている。
創立年代は不詳であるが総国風土記に「池田神社所祭事代主神也、大泊瀬若鷦鷯天皇(25代武烈天皇)乙卯6月祈雨祭之」とある。
今より1500年前のことである。
往時の神社地は八万平方米を所有せしと云う。
之の境内地に池があって祈雨の祭事を行ったという説があり、その池は清水湧く今日の釣掘池即ち聖一色の峯田池であろう。
又、神社境内に古井戸あり後桜町天皇の明和年間(1764年−1767年)四ケ年に亘り当地方に大旱魃があって池田区内の井戸皆干上がり飲料水欠乏の大苦難に陥った時があり、この時村民相集り神社境内に井戸を掘ったところ霊水涼々湧出し村衆の生活を守ったという記録がある。
この井戸の深さは約三間直経四尺周囲石垣積みにして拝殿北方約20mのところに位置する。
昭和41年大慈悲院川の掘削工事に当り、砂堆積により現在埋没されている。
明治42年神饌幣帛供進指定神社となる。
静岡県神社庁神社等級規定第十級社。
祭 日 7月15日 祇園祭。
10月17日 例祭。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




明和の井戸跡

後桜町天皇の明和年間(1764〜67)四ヶ年に亘って当地方に大旱魃があり、池田区内の井戸皆干上がり飲料水欠乏の大苦難に陥った時があった。この時村民相集まり境内に井戸を掘ったところ、霊水滾々と湧出し村衆の生活を守った。
この井戸の深さは約三間、直径約四尺周囲石垣積みにしてこの地にあったが、昭和41年大慈悲院川の掘削工事に当り、其の土砂により埋没されたものである。

社頭石碑



池田神社

池田は伊介太と訓べし○祭神事代主命、(風土記)○池田村之内神居に在す、(参考)例祭、月日、〇惣國風土記五十三残欠云、薦河国有度郡池田神社、所祭事代主神也、小泊瀬若鷦鷯天皇9年乙卯6月祈雨祭之、
連胤按るに、祭事記池田を和名鈔郷名に拠て、他田に改るは非也、風土記に他田と池田とは格別に戴せたり、さて池田神社は池田郷の読にあれば疑ふ事なし、
神位
國内神名帳云、正五位下池田天神、

神社覈録



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