国道354号線に面して鎮座している。 社伝には、現在の鎭座地は、当社の奥宮の地であり、現地南約800mの(中田小学校辺)が里宮の跡という。 また、登呂に関係があり、その鎭守ではなかろうかとしている、そうであれば弥生時代から継続していることになる。 社名の「イカマ」の意味は不明、社記では、「厳しい(いかめしい)」=おごそかで重々しい、という意味ではないか、と示唆されている。 |
伊河麻神社 伊河麻神社 静岡市稲川1丁目10の15(元中田字宮地一番地) 祭神名 品陀別命 社殿工作物 (本殿)9.25u(幣殿)21u(拝殿)56.7u(社務所)u(参集所)247.5u 境内社 金刀比羅神社、稲荷神社、火産神社 境内地 1,958u 氏子戸数(氏子)2,100戸 由緒 延喜式神明帳に「駿河國有渡郡伊河麻神社是也」と所載され、諸郡神階帳に「正四位伊河麻明神、白鳳4年4月創建ス」とある。駿河志料には「伊河麻神社今井鎌大明神といふ、当社は延喜式神明帳所載にて、風土記に有渡清水(或は玉潔水)伊軸麻神社浄見原天皇御宇四4年四月被祭之、應勅処分、為四宮奉祭譽田天皇所也」と見え、神階は諸郡神階帳に「正四位下伊賀麻明神とありて古はいかめしき御社にと有りけむ。此地を去りて遥かに鳥居株井垣添など云う字ここかしこの残り古の大社の俤あり、今は村持の社なれど古木茂れる森なり。今川家の近臣に四宮右近光汲り之此社の神官にして武役を勤めし人にゃありけん」と記されている。明治8年2月郷社に列し、旧除地八畝拾三歩を有し、明治42年6月18日静岡県告示第210号を以て神饌幣帛料供進指定神社に列せられた。昭和50年12月25日、郷社列格百年記念事業として社殿を新築竣功した。昭和21年7月30日宗教法人令により届出をし、昭和27年8月宗教法人法による法人設立の登記をした。静岡県神社庁認証の等級は五等級である。 社頭掲示板 |
伊河麻神社 伊河麻は仮字也○祭神誉田天皇(風土記)○稲川村に在す、(参考)例祭月日、○惣國風土記五十三残欠云、薦河国有度郡伊軻麻神社、浄見原天皇御宇4年4月被祭之、応勅処分為四宮奉祭誉田天皇所也 神位 國内神名帳云、正四位下伊賀麻明神、 社領 当代御朱印高二百石 神社覈録 |
郷社 伊河麻神社 祭神 応神天皇 旧と八幡宮とも。又井鎌明神とも称せしが、近世、伊河麻神社と改む、蓋し、延喜式所載の、有度郡伊河麻神社なりとするに拠りしものなるべし、伊河麻神社は、嬉喜の制小社に列せられ、諸郡碑階帳に「正四位下伊賀麻明神」と見えたり、創立年代詳ならず、但し、明細帳には「白鳳4年4月再建すと云ふ」と見えたるが、恐らくは偽書総國風土記の、天武天皇4年4月とせしに拠りしものなるべく、他に確たる徽証なし、式社略記に、『古へは厳しき御社にぞ有けむ、社地を遥に去て、鳥居森、斎垣添など云字、ここかしこに残りて、大社の俤あれど、今は森も小くなりて、村持の社となれり」 と見え、又明細帳に、旧除地八畝十三歩と見えたり、明治8年2月郷社に列す。 社殿は本殿、拝殿を備へ、境内は315坪余(官有地第一種)あり。 当社が弐の伊河麻神社なりや否やに就きては、旧説毫も疑はず、新風土紀の如きは「まぎれもなき社なり」といひ、近世の學者亦多く、旧説に賛したりしが、特選神名牒は、「井鎌明神と云ならんには、此に由ありげなれど、未だ明証を得ざれば」とて、単に参考に止め、祭神を応神天皇とするが如きに至りては、偽書風士紀の誤を襲へるものにて信じがたし、別神なるべし」といへり。 明治神社誌料 |