神神社
みわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】神神社 駿河国 益頭郡鎮座

   【現社名】神神社
   【住所】静岡県藤枝市岡部町三輪1290番地
       北緯34度53分56秒,東経138度17分47秒
   【祭神】大物主神 天照大神 葛城一言主神
   【例祭】10月19日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】皇極天皇3年(644年)4月創祀
       貞観15年8月4日従五位上『三代実録』
       元慶2年5月17日正五位下『三代実録』
       正応6年(1293年)正一位
       明治6年3月12日郷社
       明治40年3月15日神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】大三輪氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【公式HP】 神神社
   【社殿】本殿流造
       拝殿・幣殿

   【境内社】杉之坊社・津島神社・田明神社・山の神

朝比奈川の北、三輪川の東岸近くに鎮座する。
高草山(501.4m)に対する信仰がある。
社殿の右裏側に、高草山に向つて数段の石段があり、三輪鳥居の奥に石の壇がある。ここから高草山を正面に拝することが出来るようになつている。
拝殿・本殿の位置を山に向けて建ることは簡単なことに思われるが、それをせずにこのような設備をもうけたことに一つの意味が読みとれる。
現宮司、三輪氏は55代以上継続している。


神神社

延喜式内 神神社
祭神 大物主大神(大国主神の和魂)
   相殿 天照皇大神・葛城一言主神
例祭 10月19日
創祀 皇極天皇3年(644年)4月中の牛の日
由緒 皇極天皇の御代東国に疫病が蔓延して人民が苦しみあえいだ時、先の崇神天皇の御代の吉例に倣って大和国三輪山大物主神を 意富多多根古命26代の子孫三輪四位を神主としてこの地に祀り、大難を救って戴いたのがこの神社創祀の由来である。
文徳天皇仁寿元年(851年)正六位上の位を賜わってより順次叙位を重ねて、伏見天皇正応6年(1293年)正一位を賜わる。明治6年3月22日郷社に列せられた。
当神社は古来本殿がなく、三ツ鳥居の奥が古代の斎庭であった。今でも例祭など主な祭りには、お山に五対の御幣を立て、本殿と同じ神饌を上げて祀る古代祭祀の姿を残している。(岡部町民俗無形文化財)
特殊神饌 ・例祭 白おこわを献ずる。
・端午の節句(6月5日)茅巻を献ずる。
特殊建造物 三ツ鳥居(三輪鳥居)
本殿 文化8年10月 拝殿 昭和6年10月 明神鳥居 文政9年10月奉建

社頭掲示板



神神社

山宮祭
町指定民俗文化財
昭和48年4月1日指定
本殿右前に「三つ鳥居」があり、その奥に岩境がある。神神社に本殿ができる前の占代祭祀場である。例祭、新嘗祭、祈年祭にはこの岩境に御幣を立て、本殿と同じ物をお供えして祀る。神神社本来の山を祀る古式を今に残している。「三つ鳥居」は三輪系神神社独特のもので、聖俗境の鳥居である。
岡部町教育委員会

社頭掲示板




神神社

神神社は「神」一文字で「みわ」と読みます。
日本最古の神社 奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の御分社で644年にこの地にお祀りされました。
御祭神は、大物主大神「おおものぬしのおおかみ」で大物主とは、神の中の神と言う意味です。
古くは、大和朝廷の守護神として、神と言えば三輪の神と人々から呼ばれるようになり固有名詞が普通名詞化したのだと言われています。
このようなお名前が示す通り神様のお力が、非常にお強い神社で近くは言うに及ばず、遠方からも数多くの方が参拝に訪れます。
特に心身の治りがたい病の平癒や厄払い、家内安全の祈願を立てると大きな御利益が頂けると好評です。
この度は、未だかつてない大規模な神の森整備事業を行う事となり皆様のご厚意をお願いする次第です。
「日本一」の神の森を100年後の人達に贈るための壮大な事業にご協力頂きたく、よろしくお願い申し上げます。

公式HP



かみなり井戸

昔、この神神社の森にかみなりが落ちたことがありました。神様はたいへん怒って、そのかみなりをつかまえて、井戸にとじこめて、蓋をしてしまいました。
かみなりは、「もう二度とここには落ちませんから、どうかお許しください」と言って泣いてあやまりました。
神様もさすがにかわいそうになって、助けでやりますと、かみなりはたいそう喜んで天にのぼっていきました。
それからはこの森に一度もかみなりが落ちたことがないと伝えられています。
宮司
平成17年3月
おかべプロジエクト末来

社頭掲示板



神神社

静岡県志田郡岡部町三輪。旧郷社。皇極天泉3年創建と伝える延喜式内社。
意富太多根児命二六代の孫、三輪四位、大和大神神社の分霊をこの地の青垣山に遷祀した。付近の山を三輪山という。正応6年(1293)正一位に叙せられる。貞観15年(873)美和天神の尊号を賜る。例祭10月19日。6月5日に電除けの茅巷を作る。

神社辞典



神神社

神は美和と訓べし○祭神大物主神、(風土記)〇三輸村に在す、今三輪大明神と称す、(参考)例祭 月日、○惚國風土記五十七残欠云、薦河國益頭郡三輪神社、天豊財重日足姫天皇2年丙辰4月、所祭大物霊神也、寄田五十束三字田、
類社
備中國下道郡神神社
神位
三代実録、貞観15年8月4日丙申、駿河國從五位下美和天神授從五位上、元慶2年5月17日壬子、授駿河國從五位上美和天神正五位下」國内神名帳云、正二位三輪明神、
社領
当代御朱印高三十五石九斗余

神社覈録

郷社 神神社

祭神 大物主命
相殿 天照皇大御神 葛城一言主神
神一に美和、三輪とも記し、美和天神、又は三輸大明神と称せり、創立年代詳ならず、但し、総国風土記に。皇極茨皇3年の創立とすと雖も、同書は有名なる偽書なれば、証拠しがたし、三代実録清和天皇紀に云く、
「貞観15年8月4日丙申、駿河國從五位下美和天神、授從五位上」
と、次いで陽成天皇元慶2年5月17日壬子、正五位下を奉授せられ、延喜の制小社に列せられたり、但し当時此の時益野郡に属せるの故を以て、益野郡とせり。後ち累進正二位に至らせられしにや、諸郡神階帳には、正二位三輸明神と見えさせ給ふ、古来國守地頭の崇敬厚くして、徳川幕府時代には、朱印高三十五石九斗五升と諸書に見えたり、明治6年3月、郷社に列せらる
社殿は本陵、拝殿、其他神饌所等を有し、境内は843坪(官有地第一種)あり、式社略記に云く、「社地古木おひ繁り、神さびてたふとし」と。

明治神社誌料



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