出雲神社
いづもじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】出雲神社2座 周防国 佐波郡鎮座

   【現社名】出雲神社
   【住所】山口県山口市徳地堀3572
       北緯34度10分33秒、東経131度38分7秒
   【祭神】大己貴命 事代主命
   【例祭】4月18日 春季例大祭
   【社格】旧県社 周防二ノ宮
   【由緒】霊亀元年(715)創立
       天平9年(739)周防国二の宮として勅許
       天平10年(738)周防国正税帳に記載
       貞観9年(867)8月従四位下(三代実録)
       元暦2年(1185)正三位
       長暦年中(1037〜39)までは勅使参向、祭儀嚴粛
       永和2年(1376)所領記載
       大永4年(1524)佐波郡内で免田三丁七反余
       享禄2年(1529)大内義隆神馬寄進
       永禄10年(1567)毛利輝元当社に禁制
       慶長14年(1609)再興
       延享3年(1746)火災
       寛延3年(1750)6月復興
       明治6年10月郷社
       明治33年4月19日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「二宮」と称していた
   【社殿】本殿流造トタン葺
       幣殿・拝殿・神饌所・宝藏・参籠所

   【境内社】宇佐八幡宮・若宮八幡宮

太古出雲種族の山陽道への拡張発展に伴つて其祖神を鎮祭したものであろう。
神殿の横手に杉の大木があり、県下稀にみる巨樹で目通り7m余、根廻り12.5mに達し、町指定天然記念物である。


出雲神社

神社一覧
一、 神社名 出雲神社
一、 位 置 山口県佐波郡徳地町大字堀3572番地
一、 祭神 大己貴命 事代主命  治世・福徳 縁結び 開運 農耕 商工業 医薬
一、 由緒  本社は周防国二宮としてその起源は古く、大古出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮祭したものと考えられます。
 鎮座は元正天皇の霊亀元年(715)と伝えられ、聖武天皇の天平9年(737)周防国二宮として勅許を受け、奈良時代の周防国正税帳にも、その神戸・神田の奉納の記述が見受けられます。
 平安時代初期の延喜式神名帳(927)に、周防国出雲神社二座として式内に勅撰されました。以降、延喜式内社として、摂政藤原氏をはじめ大内・毛利氏等歴代の領主、藩主の祈願所として厚い崇敬のもとに、徳地地方の総氏神として営繕護持されてまいりました。
 明治33年旧県社に列格、第二次大戦後も大古より受け継がれた氏子崇敬者の伝統的敬神崇祖の念は厚く、当地方はもとより県内でも稀有の古社として現在に至っております。
一、 祭日 元旦祭
春祭(4月第3日曜日)
夏祭(7月第1日曜日)
新嘗祭(11月23日)
節分祭
大祓式(6月30日小晦日)
秋祭(10月第3日曜日)
大祓式(12月31日大晦日)
一、 古式 七曲神事
       千茅神事
       七十五膳大献供神事
       蜷蒔神事
       誓能神事
       神幸式所役(宮座)等
一、 社殿 寛延3年(1750)藩主 毛利宗廣公により重建(流造り)
一、 主な宝物 神社側近の御物
毛利輝元禁制札 大内義隆寄進状
毛利宗廣社殿奉建棟札
一、 天然記念物 ツルマンリョウ自生地(出雲神社社叢) 国指定
大杉(御神木) 町指定
一、 氏子 徳地町 出雲・八坂地区の大半
一、 末社 ・境内末社
・境外末社 宇佐八幡宮(応神天皇・神功皇后)
若宮八幡宮(誉田天皇・仁徳天皇)
氏子地区内に二十社余
一、 主要距離程 山口まで 20Km  防府まで 16Km  徳地インターまで4Km

社頭掲示板



出雲神社

二の宮の大杉
町指定天然記念物
昭和33年11月3日指定
指定地域山口市徳地堀字二の宮
杉は日本特産で一属一種、本州(青森県以南)四国、九州(屋久島まで)自生する。この大杉は根元の周囲12.5m、高さ43mの直立した老樹で、幹内に空洞は見られず、樹勢はなお盛んである。
北側は社叢が密のため枝は南に偏している。古くから『高杉大明神』ともよばれ神木として大切に保護されて来たものである。
山口市教育委員会

社頭掲示板



出雲神社

国指定天然記念物
出雲神社ツルマンリョウ自生地
昭和32年2月22日指定
所在地 山口市徳地堀字日平1400
この社叢のツルマンリョウは、やぶこうじ科に属し、茎がつる状になっていてマンリョウに似ているので、この名がある。
中国大陸・台湾・わが国では鹿児島県(屋久島)などに多く産するが本土(奈良県・広島県・山口県の宇部市と徳地町)では極めて稀であり、自生の北限地帯にあたるものとして貴重である。
茎は直立のほかつる状にものび、長いものは1m以上もある。
また茎は土をかぶるとよく発根し、そこからよく枝を出してふえている。雌雄異株で、7月に多く咲くが、他月にも多少咲くことがある。緑果の多くは11月頃赤熟する。
しかし、赤い果実は、少数個ならほとんど年中見られる。
花芽は普通三年以上の茎なら、年を経た根元に近いところにもよく着いている。花の咲く時期,(やや一定しない)やつき方などから南方起源の植物のように思われる。
山口県教育委員会
山口市教育委員会

社頭掲示板



出雲神社

神饌水
この水は社叢(神社の森)の麓の湧水です。本神社の秋の大祭には古来より伝統的な特殊神事
●七曲(ななまがり)
●七拾五膳(しちじゅうごぜん)
と云う特殊な御神饌を献供する神事があります。
この特別な御供えを調理する際には必ずこの水を使用して調理をします。
そうしたことから神饌用の浄水(清らかな御神水)として大切にされています。
またこの湧水は、湧水量は多くありませんが昔からどんな千ばつの年でも絶えた事は無く、近在の人々にも「神宮寺(出雲神社の社坊)の名水」として親しまれてきました。
式内勅撰1075年式年大祭斉行にあたり御参拝の皆様にご紹介する次第であります。
出雲神社社務所

社頭掲示板



出雲神社

本社は、周防国二宮としてその起源は古く、現在その詳細を窺うことは困難であるが、鎮座は奈良時代の霊亀元年(715)と伝えられる。社伝・古文書及び神祗関係の古典等によると、氏神祭祀の原則にしたがい、大古出雲族の当佐波川流域への膨張発展に伴い、その祖神を鎮斎したものと考察される。奈良時代の天平9年(737)には、周防国二の宮として勅許を受ける。『周防国正税帳』(東大寺文書)によると、当社へ春秋祭祀料は二拾束、雑用料及び神戸神田社領を奉納する等の記述がみえる。また、平安時代の延長5年(927)、『延喜式神名帳』には周防国内十座の内に出雲神社二座が記載されている。従って、延喜式内社として、朝廷を始め摂政藤原氏等に厚く崇敬されていたことがわかる。鎌倉・室町時代に至ると、大内・毛利氏等代々の領主・藩主の祈願所となり、また徳地地方の総氏神として、人々の崇敬が殊の外厚かった。戦国時代の享禄2年(1529)、大内義隆が神馬を寄進し、永禄10年(1567)に毛利輝元が当社に禁制札を掲げる(本社文書)等の記録がある。この外、宝物の寄進、鳥居の建立、社殿の再興・重建・造営を始め、祭祀・祈祷・坪付打渡・幣帛料・裁許任官等の文書が現存し、祭祀・造営等は殆ど藩費をもって護持されていたことが分る。明治6年(1873)郷社に列格。明治33年(1900)県社に昇格。大正15年(1926)、式内勅撰1000年式年大祭を執行する。
主要祭典
春祭(祈年祭・4月19日)、例祭(秋祭・10月第三日曜日)、新嘗祭(11月23日)
特殊神事
七曲神事(秋祭当日・特殊神饌七曲)、千茅神事(秋祭当日)、勢威能神事(秋祭神幸祭)、蜷蒔神事(秋祭神幸祭)、七十五膳大献供神事(特殊神饌・七曲と同様に宮座伝統の社官による秘伝調理神饌)、烏玉神事(秋祭前夜烏玉刻)、星祭(節分祭当日開運祭)

山口県神社庁



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