大伴神社
おおともじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大伴神社 信濃国 佐久郡鎮座

   【現社名】大伴神社
   【住所】長野県佐久市望月 227
       北緯36度16分0秒,東経138度21分34秒
   【祭神】月読命 須佐之男命 天忍日命 天道根命 大己貴命 少名彦命 木花咲耶姫命
   【例祭】8月15日 夏季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】景行天皇40年の鎭座
       仁壽元年(851)正六位上(文徳實録)
       延長5年(927)従五位上(三代實録)
       天慶2年(939)平將門の乱のため望月國忠奉幣
       長享2年(1488)村上顯國佐久郡に乱入炎上
       延宝5年(1677)造営

   【関係氏族】大伴氏の末流望月氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大伴明神」と称していた
   【社殿】本殿三間社隅木入春日作り柿葺
       祝詞殿・拝殿

   【境内社】

当社の祭神が馬に乗つてこの地に来られ鎭座し、乗つて来られた優秀な馬を種馬として駒の改良繁殖をはかり、この地に多数の馬が飼育されるようになつた。
元は現在鎮座地の北へ数百メートル、鹿曲川を渡った望月古宮(こみや)の地区にあったという。


大伴神社

大宝年間(701−4)諸國に牧場(官牧)が設定され、千曲川・鹿曲川に境した700メートル乃至800メートルの高原台地に牧草に適した草が繁茂し、その広さ3000余町歩、これが朝廷直轄の牧場となり、所謂望月牧である。これを維持、管理する牧監(もくげん)が即ち早くこの地に土着して一大豪族となつた大伴氏を祖とする望月氏が朝庭より任命され、長倉牧・塩野牧の長官をも望月氏が兼任した。牧場を維持管理しだ主体の所在地が望月に在り、牧監望月氏の根拠地も望月にあり、望月氏また氏神として大伴神社を奉齋してゐた。

式内社調査報告




榊祭り

榊祭り(大伴神社例祭 8 月15 日/ 町指定無形民俗文化財)
信州の奇祭として名高い榊祭りは、火と榊によって一切の不浄を払い浄め、五穀豊穣や無病息災を祈る大伴神社の例祭です。毎年8 月15 日の夜、一発の花火を合図にたいまつ山にかがり火が焚かれ、数百人もの若者が手に手にたいまつを掲げて、望月橋までの約2 キロを駆け下り、その火を鹿曲川へと投げ込みます。闇夜に長い火の弧を描き、川面に落ちるその様はまるで火の滝。美しくも荘厳で、見るものの心をも熱く狂わせます。やがてお囃子が練り歩き、榊の神輿が繰り出すと祭りの熱も最高潮に…。悪病を払い除けるかのように神輿を地面に叩きつけ、水を掛け合う若者たち

http://www.town.mochizuki.nagano.jp/kankou/festival.html



大伴神社

社傳によれば、景行天皇40年の鎭座と言ひ傳へられてゐる。大宝年間(701−4)諸國に牧場(官牧)が設定され、千曲川・鹿曲川に境した700m乃至800mの高原台地に牧草に適した草が繁茂し、その広さ3000余町歩、これが朝廷直轄の牧場となり、所謂望月牧である。これを維持、管理する牧監(もくげん)が即ち早くこの地に土着して一大豪族となつた大伴氏を祖とする望月氏が朝庭より任命され、長倉牧・塩野牧の長官をも望月氏が兼任した。牧場を維持管理しだ主体の所在地が望月に在り、牧監望月氏の根拠地も望月にあり、望月氏また氏神として大伴神社を奉齋してゐた。地理的に京道の通過地にあり、大和朝廷に功勢大なるものがあつた大伴氏の子孫望月氏の在地の関係上、山間の小神社が他の神社を超越して式内社に列格し御牧七郷の総社と称へられた理由もここにあつたものと思はれる。『馬政史』(農林省発行、明治32年、30頁)「大件神社注進状」なるものに左の記載がある。略述すれば「當社の祭神が馬に乗つてこの地に來られ鎭座して、乗つて來られた優秀な馬を種馬として駒の改良繁殖をはかり、この地に多数の馬が飼育されるやうになつた。」さういつた歴史のある処へ官牧が設定され、のちに信濃國最大の望月牧となつた。紀貫之の歌にも「逢坂の関の清水に影見えていまや曳くらむもちつきの駒」(『古今和歌六帖』)とよまれてゐる。

式内社調査報告



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