子檀嶺神社(里宮)
こまゆみのねのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】子檀嶺神社 信濃国 小県郡鎮座
          (奥宮)子檀嶺神社(奥宮)
          (中宮)子檀嶺神社(中宮)

   【現社名】子檀嶺神社
   【住所】長野県小県郡青木村田沢 2378
       北緯36度22分20秒,東経138度6分35秒
   【祭神】木俣神 健御名方富神
   【例祭】10月5日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】貞観2年(860)2月5日従五位下「三代実録」
       永禄2年(1559)武田信玄「下知状」
       慶長5年(1600)徳川秀忠「朱印状」
       明治14年4月20日諏訪大明神より子檀嶺神社へ改称
       昭和20年12月県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは東南東約1.5kmの大字田澤、通称中挾組に鎭座
        洪水により流出したので、現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諏訪大明神」と称していた
   【社殿】本殿木造明神造檜板葺
       祝詞殿・拝礼殿・神樂殿・社務所兼宝藏庫

   【境内社】

こまゆみは「駒斎み」でこの付近一体に展開していた塩原牧の信仰対象でもあった。奥社は高嶺の子檀山頂に、中社は字細久保に鎮座。
現在、奥社、中社、里社の三社を合せて子檀嶺神社と称している。江戸時代には、入田澤の中社をかんにや小社、又は小檀大権現、中村の里社を諏訪大明神、単に大明神、明神と呼んでいた。一般には三社を合せて、諏訪大明神と称していた。
三代実録には駒弓神「コマユミノカミ」と有り、馬を対象にした神ではないかと推察される。延喜式の信濃十六牧のひとつ塩原牧が大字田澤地籍を中心に現在の青木村全体に及んでいたと推定される。
江戸時代までは現里社より東南東約1.5kmの大字田澤、通称中挾組に鎭座していたが洪水により流出したので、現在地に移したとされる。
この子檀神社の鎭座する地域には胡麻を作つてはならないとの言伝えが有る。これは、祭神が葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻穀で眼を突き傷つけたのを忌んでのことであるとされる。


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