こまゆみは「駒斎み」でこの付近一体に展開していた塩原牧の信仰対象でもあった。奥社は高嶺の子檀山頂に、中社は字細久保に鎮座。 現在、奥社、中社、里社の三社を合せて子檀嶺神社と称している。江戸時代には、入田澤の中社をかんにや小社、又は小檀大権現、中村の里社を諏訪大明神、単に大明神、明神と呼んでいた。一般には三社を合せて、諏訪大明神と称していた。 三代実録には駒弓神「コマユミノカミ」と有り、馬を対象にした神ではないかと推察される。延喜式の信濃十六牧のひとつ塩原牧が大字田澤地籍を中心に現在の青木村全体に及んでいたと推定される。 江戸時代までは現里社より東南東約1.5kmの大字田澤、通称中挾組に鎭座していたが洪水により流出したので、現在地に移したとされる。 この子檀神社の鎭座する地域には胡麻を作つてはならないとの言伝えが有る。これは、祭神が葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻穀で眼を突き傷つけたのを忌んでのことであるとされる。 |