祝神社
ほおりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】祝神社 信濃国 埴科郡鎮座

   【現社名】祝神社
   【住所】長野県長野市松代町松代鍛冶町 567
       北緯36度33分48秒,東経138度12分11秒
   【祭神】生魂命 (配祀)健御名方富命 八坂斗売命
   【例祭】10月2日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】もと海津城二ノ丸の附近にあった
       天文22年(1553)武田信玄海津城築城鎭守として信仰
       慶長13年(1608)現地へ遷
       寛文12年(1672)再建
       享保2年(1717)松代大火の節類焼
       同12年改築建造
       宝暦元年(1751)社號を、諏訪大明神から祝神社と改
       天明8年(1788)河内屋火事に再び類焼
       文化9年(1812)造営
       寛延4年(1751)5月吉田家より社号の宣旨
       明治6年4月村社
       同15年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】もと東條地籍の山上に、鎭座していた
        諏訪神社はもと海津城二ノ丸付近にあった
        慶長13年(1608)現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諏訪大明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造
       拝殿・社務所

   【境内社】伊勢社・宗方社・猿田彦社・二福神社・稲荷社

「往古は、東條地籍の山上に、鎭座していた。其辺の地字に祝畑といった。宮跡礎石等散在し、その当時は里宮なりしを、その後、ある時代に本宮を現地に遷齋せるもの」と伝。
「健御名方富命及び八坂斗売命を祀る社(諏訪神社)はもと海津城二ノ丸の附近に、ありたるを天文22年(1553)武田信玄此地に海津城を築きて北國の防禦となすに當り、社をそのまま城内の鎭守として信仰したるを、その後、松平忠輝の時代即ち、慶長13年(1608)に右の二神を祝神社相殿に遷座合祀せり」と伝。


祝神社

祝神社 伊勢町
祭神
生魂命 いくたまのみこと
相殿
健御名方冨命 八坂斗売命
延喜式内社埴科郡五社の一つで千年以上の歴史を有す。松城城下時代は町方の産土神、総鎮守社として祀られ、いまも親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれている。
慶長3年(1598)に、生魂命は東条から、健御名方冨命八坂斗売命の諏訪二神は海津城二の丸から合祀された。本殿は一間社入母屋造り銅瓦葺き、拝殿は間口四間、奥行七間、瓦葺き。見事な立川流の彫刻が刻まれる。
境内には稲荷社、八幡社、天神社、西宮神社(恵比須神社)、猿田彦社、宗像社などがあり、学問、商業、家屋敷、食物、治水、漁業、道案内他、八百万の神が祀られる。

社頭掲示板



祝神社本殿・拝殿

本殿・拝殿は江戸時代の文化9年〜12年(1812〜15)に再建された。
本殿は銅板葺きの二間社流造りの社殿で縁および浜床を高くとり、均整の取れた外観を示している。
拝殿は入母屋造、桟瓦葺、妻入、正面向拝は唐破風である。内部は二室で奥間は二段床が高い、正面一間を吹き放し、三方に縁を回す。本殿・拝殿ともに江戸時代後期様式で本殿の脇障子に唐獅子を表し向拝中■の■や木鼻の象など、各所に彫刻が華やかにほどこされている。
古くから諏訪大明神として信仰を集めており、慶長4年(1599)この地に鎮座されている。
松代登録文化財の会

社頭掲示板



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