景行天皇の御代、皇子日本武命東征の折、日野の里(日名)に住せし時、御陵が峯(五里ケ峯)の麓の霊地に奉祀した。 |
由緒 今を去る1900余年前、景行天皇の御代、皇子日本武命東征の折、日野の里(日名)に住せし時、御陵が峯(五里ケ峯)の麓の霊地に奉祀せられ、天武天皇白鳳2年(西暦673年)社殿奉建されるといわれている。 延長五年(927年)延喜式発令され、全国3,132社として延喜式神名帳に登録され、毎年2月4日国司長官ともに幣を奉り、豊年を祈年したと伝えられる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
坂城神社 坂城町指定文化財 坂城神社所蔵 指定年月日 昭和59年10月1日 1.木造鬼神面 一面 桐材寄木造りで、正中で左右を矧ぎ付け、表面は漆箔、内部は素地仕上げとする。裂けるほどに開いた大口から鋭利な牙歯をむき出した忿怒相に彫成されている。作者は明らかでないが、勝れた彫技を示し、室町時代の制作と考えられる。 1.木造獅子頭 一面 桐材寄木造りで、朱漆塗とするが剥落する。 形状は横型で、上顎頭部と、下顎は各別で、だて髪の形制など勝れた彫技を示す。銘文はないが、形制上室町時代の制作で、行道即ち黎供養に用いたものであろう。 1.古文書 四通 1.氷禄11年9月20日 武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 2.天正7年2月17日 武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 3.慶安3年2月3日 坂木領代官長谷川安左衛門判物(断簡) 4.天文元年2月3日 村上義清が坂木大宮神社にあてた神領寄進状 昭和60年3月1日 坂域町教育委員会 社頭掲示板 |
坂城町指定文化財 1.木造鬼神面一面 ・種別彫刻 ・指定昭和59年10月1日 桐材寄木造りで、正中で左右を矧ぎ付け、表面は漆箔、内部は素地仕上げとする。裂けるほどに開いた大口から鋭利な牙歯をむき出した怒怒相に彫成されている。作者は明らかでないが、勝れた彫技を示し、室町時代の制作と考えられる。 1.木造獅子頭一面 ・種別彫刻 ・指定昭和59年10月1日 桐材寄木造りで、朱漆塗とするが剥落する。形状は横型で、上顎頭部と、下顎は各別で、たて髪の形制など勝れた彫技を示す。銘文はないが、形制上室町時代の制作で、行道即ち黎供養に用いたものであろう。 1.古文書 四通 ・種別古文書 ・指定昭和59年10月1日 1.永禄11年9月20日武田信玄の坂木大宮神社にあてた社領寄進状 2.天正7年2月17日武田勝頼の坂木大宮神社にあてた社領安堵状 3.慶安3年2月3日坂木領代官長谷川安左衛門判物(断簡) 4.天文元年2月3日村上義清が坂木大宮神社にあてた神領寄進状 1.坂城神社狛犬 一対 ・種別彫刻 ・指定平成11年4月1日 天和2年(1682)石川市左衛門義孝奉納の銘が刻まれている。寄進者は、天和2年(1682)〜元禄16年(1703)までの22年間坂木に陣屋をおいていた坂木藩板倉氏の家臣である。 この狛犬は、当地方を板倉氏が領地としていたことを証するものである。 狛犬の容姿は、板状台付一石彫成、全体小形であるが、胴はよくしまリ、胸の張りも広く、引き締まった姿をしている。頭の後ろに処理されている巻毛の作リも丁寧である。獅子の独特な面相をもち、前方をにらんで神社を守護する風格がある。 造形的にみて、中世の面彰が認められる。 制作は江戸時代中期頃で、町内の石造物としての狛犬では、古い方になる。石質は、中粒灰色砂岩である。 法量 (阿・吽)高さ53cm×幅33cm×奥行50cm 記銘文 「奉寄付高麗狗一双 石川市左衙門義孝」 「天和2年8月 壬戌」 平成12年3月坂城町教育委員会 社頭掲示板 |