創建年代不詳だが、古来船山郷の総社として尊崇されている。 |
由緒 往古の鎮座にして創立勧請の年月は不祥であるが、延喜年中(910)に埴科郡五座の筆頭をもって神名帳に記載された延喜式内の名社である。 船山郷を含む近郷にわたる総社であり郷民の崇敬は厚く、大領の時代は祈願所として尊崇を受け、代々の領主よりは祭典料の寄進があった。 七年に一度の御柱大祭を斎行するを例とし船山郷(杭瀬下・新田・鋳物師屋・寂蒔・内川・打沢・小島・桜堂・粟佐)の九ヶ村にて執り行ってきた。 境内は古木多く古社の姿を観し、旧本殿は正応年間(1288)以前の建造物であり、本殿は慶応二年(1866)の御造営である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
粟狭神社 祭神 建御名方命 事代主命 少彦名命 由緒 往古の鎮座にして創立勧請の年月は不祥であるが 延喜年中(910)に埴科郡五座の筆頭をもって神名帳に記載された延喜式内の名社である。 船山郷を含む近郷にわたる総社であり郷民の崇敬は厚く 大領の時代は祈願所として尊崇を受け 代々の領主よりは 祭典料の寄進があった。 七年に一度の御柱大祭を斉行するを例とし船山郷(杭瀬下・新田・鋳物師屋・寂蒔・内川・打沢・小島・桜堂・粟佐)の九ヶ村にて執り行って来た。 境内は古木多く古社の姿を観し 旧本殿は 正応年間(1288)以前の建造物であり 本殿は慶応2年(1866)の御造営である。 粟狭神社本殿 この本殿は総欅の素木による生木を生かした建築彫刻で 建築形式は唐破風を配した一間社流れ造りになっている。文久3年(1863)8月に起工し慶応2年(1866)3月に落成した。 工匠は妻科出身の池田文四郎で 彼は当時盛んになった立川流建築を 諏訪の名匠 立川和四郎富昌に21歳の頃より学び 晩年は立川姓の名跡を許された。 この本殿は文四郎39歳の作で 繊細流麗な彫刻はより一段と本殿の荘厳さをひき立たせている。 粟狭神社旧本殿 古本殿 権殿・宝蔵とも言われ 現本殿が御造営されるとともに この地に移された。 建築年代は 正応年中(1288)再興と棟側の鬼面に墨書され鎌倉時代である。 御修造を加えたといえども旧観を保っており その工法は工匠の驚く処であり貴重な文化財建築である。 社頭掲示板 |