高杜神社
たかもりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高杜神社 信濃国 高井郡鎮座
          (奥社)高杜神社奥社
          (里宮)高杜神社奥社里宮

   【現社名】高杜神社
   【住所】長野県中野市赤岩 563
       北緯36度47分12秒,東経138度22分13秒
   【祭神】少那彦名之命 (配祀)大国主之命 健御名方之命
   【例祭】10月8日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】応永13年8月夜間瀬川大洪水
       明治6年村社
       明治13年中社新築
       明治31年9月14日県社
       明治40年54月5日神饌幣畠料供進指定神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】高社山
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       本殿・祝詞殿・拝殿・社務所

   【境内社】

市北東に高杜山(高井富士 1352m)在り、山頂に高杜神社奥宮を祀る。
明治13年奥社の真正面で村落の上位に中社を新築する。
本社は里宮とも称されている。
高社山の位置風格からして、山そのものを信仰の対象として信奉したであろう。
奥社は高杜山第二峰の巖窟中に鎮座し、峯のお藥師さまと尊称され高社山信仰として親しく登拝されている。
本来は山頂の奥宮と赤岩宮之裏にあった里社の2社で構成されていた。里社は夜間瀬川そばにあり集落の上位置にあったが、応永13年の大洪水で集落が山側へ移動し、里社は集落の下位置になってしまった。ために、明治13年、集落の上位置に当社中社を建立し現在の三社構成となった。


高杜神社

中野市指定無形民俗文化財
赤岩の宣澄踊り 保持団体高杜講
指定年月日 昭和59年5月29日
宣澄踊りは七七五の歌詞の後半を反復しながら続けていく歌謡にゆったりとした動きの素朴な振り付けをしたもので「盆じゃもの」に代表される奥信濃の地域性豊かな民謡や念仏踊りとの関連等からも学術的に大変貴重な民俗資料です。
由来については不明ですが戸隠講の代参人が盆じゃもの系統の踊りを戸隠の人に譲る代わりに宣澄さんの信仰を持ち帰ったとも伝えられています。
大正7・8年頃には8月17日に神宮寺であった谷厳寺の広場で行われていましたが現在は毎月1日と15日の2回高杜講を中心に宣澄さんを信仰する人々が宣澄さんを祀った相殿に参り、祭事を行った後、この広場で踊りが行われています。
多少の盛衰はあったにせよ、宣澄踊りが発生して現在に至るまで、一回たりとも欠かさず行われてきたことは指定の大きな理由の一つとなっています。
昭和60年3月30日設置
中野市教育委員会

社頭掲示板



赤岩の太々神楽

中野市指定無形民俗文化財
平成4年4月30日指定
赤岩の太々神楽
 室町時代末期から江戸時代を通して、伊勢神宮(三重県)熱田神宮(愛知県)の御師や社家の家の神前で、全 国各地から参詣に訪れる太々講などの人々によって神楽が奉納された。
 小神楽・大神楽・太々神楽の区別があり、太々神楽は最も大規模に行われたもので、のちに奉納神楽の美称ともなった。
 神楽を舞の性格から区別すると、巫女神楽、採物神楽、湯立神楽、獅子神楽となる。
 赤岩の太々神楽は採物神楽の要素が多く入っており、また信仰と娯楽の二つの要素を合わせ持ったもので、奥信濃では、このような類の神楽を太々神楽といっている。
 太々神楽は神への奉納と、人々の娯楽の二つの要素を持つ神事芸能で、長い間大勢の人により守り伝えられてきたもので、現在は高社講の人たちが中心となり、氏子中の楽人や舞い人が、伝習し、稽古を積んで奉納している。

社頭掲示板



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