小坂神社
おさかじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】小坂神社 信濃国 高井郡鎮座

   【現社名】小坂神社
   【住所】長野県須坂市井上町 2578
       北緯36度37分53秒,東経138度17分1秒
   【祭神】小坂神 誉田別命
   【例祭】9月15日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】由緒不詳
       享和2年(1802)本殿再建
       明治6年郷社
       大正7年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地と思われる

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿一間社流造
       幣殿・拝殿

   【境内社】弥栄社・神農宮

当初より現在地に祀られた。大洞山麓に近く、鮎川末端の湧水線直上であり、この地域を開発した古代氏族が、ムラの上方湧水線直上に祀つたのが当社であろうと推定される。
中世信濃源氏の名族井上氏がこの地に拠り、当社の西北隣地に居館して以後、源氏の奉齋神「八幡宮」の名で通つてきた。
明治中期に祭神を大和国宇陀郡男坂(ヲサカ)神の分霊と変えた


由緒

鎮座地 須坂市井上小坂二五七八 当社は十世紀の延喜式に載せられている名神です。祭神は古代この地方一帯を開発した氏族の祖神又は勤請神と考えられますが具体的には不明です。十一世紀後半清和源氏井上氏がこの地に入国して当社後方に居館を営んだとき八幡神を当社に祀りました。
高井郡式内六社の中で、社名と社地が確定しているのは当社だけです。鎌倉時代の史料に、地名「小坂」が現われ、現在まで続いているからです。
境内は北信濃特有のケヤキの純林で、須坂市天然記念林に指定されています。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




小坂神社

須坂市指定有形文化財
銅製鰐口
平成元年10月1日指定
鰐口は、神社や寺の軒下に帛るし、参拝者が布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす鐘です。
この鰐口は、昭和の初めまでは小坂神社の拝殿軒下に帛るされていたものです。刻まれている銘文には「・・信州高井郡今里宝績寺・・応永廿一年・・」とありますが、宝績寺がどこかは不明です。
応永21年は1414年で、室町時代に当たり、須坂市内では最も古い作品です。
毎年、秋の例大祭(10月10日)に、公開きれます。
平成11年9月設置
須坂市教育委員会

社頭掲示板



小坂神社

須坂市指定天然記念物
小坂神社社叢
昭和61年10月17日指定
社叢は、神社の森という意昧です。古来、地元住民のいこいの森として、親しまれてきました。入為的に切られることが少ないために、大木が多く、地域の植生を知ることができます。
小坂神社は、「延喜式」という平安時代の書物に出てくる大変古くからある神社ですから、この森も千年以上地元住民に親しまれています。樹齢三百〜六百年のケヤキが23本もあり、県下でも他に例を見ない壮観な森です。
平成11年9月設置
須坂市教育委員会

社頭掲示板



小坂神社

 「延喜式」の古い神社で、産土神(うぶすなかみ)として高角身命(たかつみみのみこと)が祀られた。11世紀半ば、源頼季・満実親子が国衙領(こくがりょう)であるこの地に移封され、井上氏を名のり八幡神誉田別命(ほんだわけのみこと)を勧請した。以後「小坂八幡」といわれ、近在の井上十六郷の総社として崇敬されていた。境内には神農宮社の他地区内に散在していた若宮社をはじめ九社が神社整理令によって移されたが、現在若宮社以外は不明である。

信州須坂のおたから



小坂神社
『延喜式』神名帳、信濃国高井郡登載の名神である。鎌倉時代の諏訪史料に地名「小坂」があらわれることから社名と社地が確定している。
祭神は建角身命とつたえ古代この地方を開拓した氏族の祖神または勧精神と考えられる。平安時代後半、清和源氏井上氏がこの地に入国し当社後方に居館を営んだとき源氏の氏神八幡神を合祀し厚く尊宗した。境内には北信平地部特有のケヤキの純林が鬱蒼と茂り樹齢数百年を数える。また社宝に応永二十二年銘の鰐口がありケヤキと共に須坂市指定文化財である。
明治6年郷社、大正8年県社列格。

長野県神社庁



信濃国INDEXへ        TOPページへ


学校情報