小内八幡神社
おうちはちまんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小内神社 信濃国 高井郡鎮座

   【現社名】小内八幡神社
   【住所】長野県中野市安源寺572
       北緯36度44分20秒,東経138度19分56秒
   【祭神】応神天皇 大気都姫神 神功皇后
   【例祭】 9月15日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】永禄4年9月甲越戦争の渦中で焼亡
       天正10年社領寄進
       同17年高梨頼親社領寄進
       寛文5年(1665)造営
       寛延3年(1750)「小内八幡」の社名を得
       明治6年4月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡神社」と称していた
   【社殿】本殿
       祝詞殿・拝殿・随神門・瑞橋・社務所・土藏

   【境内社】天満社・諏訪社

慶長8年(1603)吉田家に式内小内神社の称号を請したが許されず、寛延3年(1750)に綿内の諏訪社(現小内神社)と式内社号を競願し、僅に「小内八幡」の社名を得て郷名を遺す事ができた。


小内八幡神社青獅子

指定年月日 昭和47年12月25日
保持団体 小内八幡神社芸能保存会
安源寺の小内八幡神社の秋祭りに奉納する獅子舞いの中に青獅子があり御幣だて、鈴神楽、青蜘子、剣の舞いの四演目から構成されている。
由来は判然としないが、寛文5年(1665)の社殿再興祝賀祭の頃から行われたとする説と明治初年の頂にここへ定期的に廻って来た旅芸人から教えられたとする説とがある。
舞いは親獅子と子獅子とによって舞われ、物真似や曲芸のユーモラスな面と煙硝筒に火を付けて舞台一面、煙と火の粉につつまれた中で立廻るダイナミックな面とがある。
指定の理由は代神楽が信仰的演技から観賞演技化した過程における素朴な時期を偲ばす珍らしい演技の一つである曲芸的な技を持続している点である。
昭和60年3月30日設置
中野市教育委員会

社頭掲示板



小内八幡神社本殿

中野市指定有形文化財
小内八幡神社本殿
 本殿は、桁行319cm 梁間210cm 向拝418cmの三間社流造で、江 戸時代前期の建築である。母屋は円柱で、縁 長押・内法長押・頭貫・台輪をつけている。 正面3間に黒漆塗の両開きの板唐戸を取り付 け、両側と背面の二方は板壁とし、白く塗彩 した上に、猿・兎・菊・菖蒲の絵を描いてい るが剥落がはげしい。 組物は出三ツ斗で中 備には本蟇股があって松・桃・蓮の彫刻があ る。軒は二軒繁垂木である。向拝柱は角柱の 面取りで、頭貫を通し、組物は出三ツ斗で中 備には本蟇股をおき彫刻は牡丹と唐獅子であ る。屋根は板葺きで、棟の両側に鬼板をつけ ている。 創立年代は不詳であるが延喜式内 社に比定され、 本殿の立地する丘は由緒が あって旧石器時代以降の一人複合遺跡である。 飯山藩主松平忠倶が寛文5年(1665)に造営 した。
 上述の如くすぐれた建築様式をもつ本殿は、 領主や庶民の尊崇をあつめ参道は長く、境内 は広く、しかも社叢はうっそうと茂るなかに 鎮座している。戦前の社格は郷社であった。

社頭掲示板



小内八幡神社青獅子

中野市指定無形民俗文化財
昭和47年12月25日指定
小内八幡神社青獅子
 小内八幡神社で9月14日の夜、秋祭りの宵宮に舞う 青獅子は、長野県内でも特色のある珍しい獅子舞です。 獅子神楽の中の青獅子は、神事的なものから興行的な要 素の多い内容に変遷し、獅子頭は、板を二枚合わせた形 で色が青いことから青獅子と呼ばれています。
 獅子神楽の順序は、少女による浦安の舞、豊栄の舞に 始まり、ヨタン舞、オンベ舞、鈴神楽、刀の舞へと続き ます。子供たちの舞が終わると不気味な青い顔をした板 獅子が登場します。二人立ちを親獅子、一人立ちを子獅 子と呼び、手、口、尾に煙硝筒を持ち乱舞したり、曲芸、 軽業といえるような舞をします。
 由来は、江戸時代の寛文5年(1665)の社殿の再 興のおり、江戸神楽を舞ったもの。定期的に演じられて いた旅芸人から教わったもの。伊勢の御師系の芸能者か ら教わったものなどがありますが、定かではありません。 青獅子の獅子頭は板獅子系の他ではみられないもので、 民俗芸能の原始的なものの一つです。また曲芸的な要素 についても歴史的な変遷過程の一部として貴重なもので す。

社頭掲示板



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