須坂の地名は、当社よりとられたもの。 宝物中の甕・横翁・坩・壷は大正7年9月旧境内地から発掘された。 |
墨坂神社 本殿の主神は墨坂大神で奈良榛原から勧請したといわれる。建御名方命を合祀している。創立年月は不明であるが、「延喜式」には延喜7年(907)の頁に記載あり。芝宮は、市川が今の市内の地を乱流していた時、須田氏が大日方地籍で瀬替えをして、今のように流れを替え、荒れていた宮地を整備したといわれる(「勧進帳」承応元年(1652)神社神宮 山岸図書太夫)。代々の藩主に崇敬され厚く保護され、旧須坂町の中心的神社。 弥栄社のご祭礼は須坂を代表する夏祭り。 「墨坂」の社名については社論があるが明治になって、八幡社と共に、両社とも墨坂社・県社となる。宮前の駅へ通ずる道が開けたのは大正11年。その道が更に高橋町に向かって開かれたのは昭和52年。 このとき、丁字路の突き当たりにあった信濃電気(越寿三郎創業・中部電力の前身)の営業所は八幡に移転、跡に記念碑が建てられている。 信州須坂のおたから |