皇足穂命神社諏訪社合殿
すめたるほみことじんじゃすわしゃごおでん 所在地 社名















   【延喜式神名帳】白玉足穗命神社 信濃国 水内郡鎮座

   【現社名】皇足穂命神社諏訪社合殿
   【住所】長野県上水内郡中条村中条 2270
       北緯36度36分20秒,東経138度1分51秒
   【祭神】倉稻魂命 健御名方命 事代主命
       (配祀)誉田別命 気長足姫命
       (合祀)月読尊 天照大御神 健御名方命 軻遇突智命 金山彦命 三峰大神
       十二天白神 大物主命 手力雄命 大山祇命 伊弉册命

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天文2年(1533)領主春日淡路守社殿修復
       寛文5年(1665)火災
       寛文10年(1670)再建
       安永2年(1773)12月皇足穗命神社の社号認可
       弘化4年大地震により拝殿倒壊
       安政4年(1857)再建
       明治6年4月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諏訪大明神」と称していた
   【社殿】本殿一間流造
       拝殿・神楽殿・社務所

   【境内社】荒神社

延喜式には、「白玉足穂命神社」と記されているが、「白玉」は「皇」を分割記載したもので、皇足穂命神社が本来の式社名であろう。
皇足穗命神社の西側に、並んで諏訪社があり合殿(相殿)の呼称がされている。
諏訪社は神功皇后が三韓出征のとき諏訪大社を訪れたとき、出仕の神官が御神木を移植し、祭神を勧請して皇足穂の宮に並べて鎮座させたと伝う。
2Kmほど離れたところに現在保高なる地名があるが、江戸末期までは此の地に穗田(ホタ)と称する神田があり、祭祀の用に供したことが傳えられている。


皇足穂命神社諏訪社合殿

村指定文化財(建造物)
文化財指定第8号
名称 皇足穂命神社本殿(東宮)
文化財指定第9号
名称 諏訪社本殿(西宮)
所有者 皇足穏命神社諏訪社合段
所在地 中条村大字中条字宮前2270番地イ号
説明
皇足穂命神秤社本殿は一問社流造で、母屋は円柱で、地長押・内法長押を入れ、頭貫上に台輪をおき、組物は出三斗とする。妻飾は縦横式とし、屋根はこけら葺、一軒で、三方に切目縁を廻し、正面に舞良戸式両開扉をつり他は横板張とする。向拝は角柱上に出三斗をおき、正面に本蟇股を入れ、母屋と海老虹梁で繋ぐ、本鼻など細部によく寛文ごろの特徴を示す建造物である。諏訪社本殿も様式が同じで、皇足穂命神社本殿につぐ建造物である。
昭和58年3月17日指定
中条村教育委員会
調査者 長野県文化財保護審議会長 米山一政氏

社頭掲示板



子安荒神由来

子安荒神由来
御祭神 奥津日子命・奥津比売命
御利益 かまどの神 安産の神
    火難、盗難、病難除の神
本神社は戦国時代坂城の城主村上義清公の奥方加治の方が難産の折祈願し男子源吾(国清)を安産したことから当城主の信仰が厚かった。長野市村山子安荒神を中条平一円の先人が勧請御分祀したと伝えられる。
村山の荒神様が西向きであるのに対して当社は東向きに祀られこの間の住人特に中条平一円を見守り子無き人には健児を授けて下さるとして信仰を集めている。また村山の荒神様だけでは片参りともいわれ、中条平芦連の守護神とされ春秋の皇足穂命神社の例大祭には併せて神楽獅子舞を奉納地域住民の安全を祈願している。

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