風間神社
かざまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】風間神社 信濃国 水内郡鎮座

   【現社名】風間神社
   【住所】長野県長野市風間 781
       北緯36度38分0秒,東経138度13分11秒
   【祭神】伊勢津彦命
   【例祭】10月1日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】持統天皇5年(691)勅使派遣
       貞観2年(860)2月5日正六位上
       元禄10年(1697)諏訪社から風間大明神に改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】風神か
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       祝詞・拝殿

   【境内社】伊勢社・金刀比羅社・天村雲社・猿田彦社・天神社・三宝荒神社・伊勢社

持統紀にある水内神であるとする。祭神 級長津彦命は風神である、社名もこれからおこるか。


風間神社

延喜式内社 風間神社 由緒
醍醐天皇(927年)の御世、延喜式という書物が有り、その中の神名帳は全国に存在した神社名が書かれていて、この神社が延喜式内社・或いは式内社と称されています。登録神社は3132座で、信濃には48座、水内郡には 風間神社外8座です。『風間神社』は、日本の正史と言われる「六国史」に、推古天皇5月8日(596年)には『竜田風神信濃須波・水内神を祀らしむ』とみえています。そして清和天皇貞観2年2月(860年)『飄別神に叙位』の事が書かれています。
この『水内神』『飄別神』はいずれも風間神社で有ると言われています。
祭 日
元旦祭(元始祭) 勅使祭
奉告祭 春祭(祈年祭・五社祭)
夏祭(祇園祭) 風鎮祭
例大祭 秋祭(新嘗祭・伊勢宮祭)
越年祭(大祓)

社頭掲示板



風間神社

裾花川は昔、暴れ川と呼ばれるほど氾濫が多く、人々を悩ませていました。村人たちは、裾花川の流れを治め、豊かな恵みを願い、田畑を開墾し「五穀豊穣」を祈念し、お社を祀られたと言われています。平安時代の「延喜式神名帳」には、水内郡の一座として記載されています。
鎌倉幕府の執権北条氏のとき、諏訪社大祝職である諏訪盛重は北条泰時、経時、時頼の三代の執権に仕えます。以後、北条氏との絆は一段と強くなり、全国に諏訪神社を拡大していきます。
風間郷には、矢崎家直の子息が風間忠直を名乗り「風間神社」から「諏訪大明神」に改めます。
江戸時代になると「諸社禰宜神主法度」により宮崎若狭守が京都の吉田家から神道裁許状を受け「風間大明神」の社号を許されました。境内には伊勢の関係が強い「天牟羅雲社」「猿田彦社」「伊勢宮」が祀られています。伊勢国の宮崎氏が「諏訪大明神」から「風間大明神」へ改号します。
文政5年京都吉田家の宗源宣旨といわれる宣旨で神階を発行し「風間大明神」から「風間神社」に改称します。混乱の明治期には、神仏分離令や社寺領上知令が発せられ、更に太平洋戦争の苦難を乗り越えて、現在の地にお祀りされております。

長野県神社庁



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