継体天皇の皇子兎王の裔を酒人公と称し、天武天皇13年(684)冬10月眞人の姓を賜う。その族人当国に来て居を布留山(今古山と書く、当社背面の山)の地に定めて一郷を治めた。清和天皇の頃此の地を小川の荘と称したので郷人尊んで酒人小川眞人と称し、酒人氏代々厚く当社を崇敬した。 醍醐天皇延喜5年(905)天神地祇3132座を祀るにあたり、当社も其列に加わり、同年12月28日山城国愛宕郡神祇齋場に於て祭る頒幣に授かり小川神社と奉称された。 小川氏は応仁2年(1468)大日方弾正忠長政と戦い軍敗れて没落し、その後兵乱相次ぎ、社宇も頽廃した。 当社と瀬戸川の社は従來より独立神社として存立しており、小川神社の社号をめぐり争いもあった、ために、一見論社のように見られるが、奥宮、里宮の関係と思われる。 |