武水別神社
たけみずわけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】武水別神社 信濃国 更級郡鎮座

   【現社名】武水別神社
   【住所】長野県千曲市八幡 3012
       北緯36度31分9秒,東経138度6分10秒
   【祭神】武水別大神 (配祀)誉田別命 息長帶比売命 比淘蜷_
   【例祭】9月15日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】孝元天皇の御代鎮座
       貞観8年(866)従二位『三代実録』
       同9年(867)官社
       安和元年(968)石清水八幡宮より、八幡三神を相殿に勧請
       慶安元年(1648)徳川幕府より二〇〇石の朱印地
       嘉永3年(1850)造営
       明治17年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】千曲川の水神
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【公式HP】 武水別神社
   【社殿】本殿銅板葺変形流造
       拝殿・社務所

   【境内社】天神社
   【境内図】 境内図

安和元年(968)石清水八幡宮より八幡3神を相殿に勧請し。中世は八幡宮と称していた。
天台宗信濃五山の一つ「更級八幡神宮寺」は、この八幡武水別神社の神宮寺・別当寺であったが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。


武水別神社

御祭神   主祭神 武水別大神
  相殿 誉田別命
    息長足比売命
    比淘蜷_
三大祭
  祈年祭 3月15日
  例大祭 9月15日
  新嘗祭 12月12日
御由緒
   社伝によると、武水別大神は第八代孝元天皇の御代に御鎮斎と伝えられており、善光寺平の五穀豊饒と千曲川の氾濫防止とを祈念して祀られました。十二月の大頭祭(新嘗祭)は、御神徳に対し氏子民が感謝の誠を捧げる、この地方最大の祭典であります。
 八幡三神は、安和年間に京都石清水八幡宮より勧請され、相殿に奉斎されました。誉田別命は応神天皇、息長足比売命は応神天皇の御母君の神功皇后のことであり、比淘蜷_とは田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の三女神の総称で国家鎮護、航海・交通安全の守護神と仰がれております。

社頭掲示板



武水別神社

長野県宝
 武水別神社摂社高良社本殿一棟
一、指定年月日 昭和50年7月21日
二、指定理由
この建造物は室町時代後期の特色を示す神社建築として貴重なものである。
三、説明
高良社本殿は一間社流造の系統に属するもので建築様式から見て室町時代後期十六世紀ごろ建てられた建築と考えられる。ふつうの流造に見られる周囲の廻縁や階段は省略され 正面に小さな縁をつけるのみで いはゆる見世棚造に類する形式である。主屋の桂上の組物に舟肘木に用い軒の垂木を省略して板のみで屋根を支えているなどは略式な手法であるが側面の妻飾に太瓶束と扠首組を併用しているのは珍らしい手法である 頭貫の先端の絵様や虹梁に彫りこまれた文様に室町時代後期の特色が見られ その上建築当初の主要部分がよく保存されている点 貴重な建築物である。
長野県教育委員会
更埴市教育委員会

社頭掲示板



武水別神社

*** 御由緒 ***
 当社の創建に関しては、その年代は詳らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四〜一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
 その後安和年間(968〜70)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比淘蜷_が勧請され、相殿に奉斎されました。 当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観2年(860)に従五位下、同8年に従二位の神階を受け、同9年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
 戦国時代から江戸時代にかけてはこの地方随一の八幡宮として諸武将の尊崇が篤く、慶安元年(1648)には幕府から朱印地二百石を与えられました。明治時代に入ると郷社に列せられ、明治41年に県社に昇格、現在は神社本庁別表神社に指定されております。
*** 御神徳 ***
 主祭神の武水別大神は、国の大本である農事を始め、人の日常生活に極めて大事な水のこと総てに亘ってお守り下さる神であります。長野県下最大の穀倉地帯である善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られたものと思われます。
 誉田別命は八幡大神と称えられる応神天皇のことで、古来文武両面のお徳をもって世に崇められ、国家鎮護・国威宣揚のために、農地を開拓し、学問を勧め、当時の中国大陸から学者や職工を招いて民業を指導し、国力の充実発展と人間生活の向上進展に尽くされた大徳のある神であります。
 息長足比売命は応神天皇の御母君、神功皇后のことで、その昔仲哀天皇の御意志を継いで皇軍を三韓(古代朝鮮北東部、新羅、百済、高句麗)までも進められ、任那(古代朝鮮南部)との親交を図り、御稜威を遠く海外にまで展べられた神であります。
 比淘蜷_は前の神々と御神縁が深く、御婦徳・御威徳共に兼ね備えた「田心姫」
「湍津姫」 「市杵嶋姫」の三女神の総称であり、国家鎮護、航海・交通安全の守護神として仰がれております。

公式HP



文化財

無形民俗文化財(国選択)
武水別神社頭人行事 - 昭和61年12月17日選択
長野県指定文化財
長野県宝(有形文化財) 摂社高良社本殿(建造物) - 室町時代 昭和50年7月21日指定
銅製釣燈籠(工芸品) - 室町時代 昭和45年4月13日指定
天然記念物  武水別神社社叢 - 昭和40年2月25日指定
史跡 武水別神社松田家館跡 - 中世 現在の所有者は個人 平成18年4月20日指定
千曲市指定文化財
有形文化財 武水別神社神官松田邸(建造物) - 江戸時代から明治時代 現在の所有者は千曲市ほか 平成15年2月28日指定
伎楽面 2面(彫刻) - 金剛面1面、力士面1面の2面 平安時代から鎌倉時代頃 昭和53年3月24日指定
獅子面 1面(彫刻) - 鎌倉時代 昭和53年3月24日指定
金銅製六角釣燈篭(工芸品) - 江戸時代 昭和48年3月15日指定


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