治田神社(上社)
はるたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】治田神社 信濃国 更級郡鎮座

   【現社名】治田神社(上社)
   【住所】長野県千曲市桑原 1
       北緯36度31分31秒,東経138度5分7秒
   【祭神】健御名方命 (配祀)八坂斗女命 保食命
   【例祭】9月23日 秋季大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】雄略天皇8年(463)創立
       中世上下二社に分祀
       武田信玄の川中島への進攻に際し社号を諏訪明神
       天明2年(1782)上下とも治由神社の旧社名に復する
       明治14年6月郷社
       同33年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古く治田山に鎮座
        中世上下2社に分れる

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諏訪神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・幣殿・宝藏庫

   【境内社】

開化天皇の皇子彦坐命の5世の孫日子王が創祀と伝。古く治田山に鎮座し中世上下2社に分れると伝う。武田信玄川中島進攻のときそれを恐れて社号を諏訪神社に変え、天明2年(1782)元へ戻すと伝う。


句碑

更級や 治田の神に むさむけて
 里やすかれと 祈りつるかな
安政5年8月 源三宣
安政5年(1858)のころ千曲川の氾濫が度々あり、稲荷山と杭瀬下神殿との境界が不明になることが多かった。そのため境界争いになり、幕府に提訴した。幕府は現場検地のために寺社奉行吟味役の調査役人総勢37名を派遣した。その役人の中に「御勘定評定所留役高木源六郎源三宣」が歌を詠みそれを記念して碑に残したものである。

社頭石碑



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