日置の族人が創立と云われる。安永3年(1774)日置神社と名称を改める。山裾、国道に面し、小学校の北隣、犀川に面して鎮座する。 |
日置神社 創祀の年代は不詳であるが該社造営は太古知るべからずと雖も、享禄寛文の再度犀川洪水に旧記流失し創立年月日不詳、本村の内、旧日名村の産土神なり、延喜式神名帳に記載。從前諏訪大明神と称し來り、安永3年11月神祇管領(吉田家)に願ひ、神祇管領長卜部兼雄より日置神社の社號の宣旨告文を受く。天文年間本郡牧野島琵琶城主馬場信房再建古水帳に社領五石を付へ、明治6年4月村社に列す 神社明細帳 |