当信川の西、字当信平に鎮座する。 往古は現在の北2丁字塚田に大年神健御名方命を奉齋していた。 その地が岩山抜崩により3丁程南の地、中ノ宮に奉遷した。 その後、今の地へ奉遷座。 |
太々神楽囃子 信州新町指定無形文化財 信級中原流太々神楽囃子 昭和59年6月11日指定 信級に伝わる神楽囃子には上組、岩下組、外鹿谷組、高地、入組の五組があったが、明治6年高地と入組が別れ現在は三組で、當信神社の祭に演じられている。 かっては、5月の春祭(八十八夜・豊作祈願祭)、7月の夏祭(祇園祭)、9月の風祭(二百十日)、11月の秋祭 (新嘗祭)で演じられていたが、今は春祭と、10月の例大祭の二回になっている。 この獅子神楽は、江戸時代から伝承された、伊勢御師の伝えた太神楽系のものである。明治年間に更埴市八幡の中原から指導者を招いて中興した経過がある。演目には、幌舞い・御幣舞い・狂い・連ぼう・岡崎・中勢・玉ころがし等がある。 囃子には、道中囃子・シャギリと、それぞれの舞いに対応したものがある。 社頭掲示板 |
當信神社 創祀年代は不詳であるが、延喜式神名帳に御登録のある処の旧社にして往昔土地開拓の草創時代により上下一般の崇敬を享けた。 嵯峨天皇の御代弘仁元年地頭仁科某は、社殿再興奉斎したと云う。此の地字塚田と称し塚の上、大年塚と云う小祠あり。 大年神御名庁命奉斎していたが、後現在の地に奉遷した。 往昔旧本鹿谷村、外鹿谷村及び安曇郡高地村、水内郡山穂刈村、入組の産土神なりしも維新の際に僅かに信級村産土神となり明治6年4月、旧小区の郷社に列す。 明治41年10月27日告示第377号を以って会計指定。 明治44年3月27日告示第122号以って神饌幣帛料指定。 明治41年9月1日例祭により共進使参向。 昭和21年4月宗教法人令の登記なし。神社本庁所属の神社となる。 長野県神社庁 |