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波閇科の語源は、ハベ=蔓の意で、科=坂である。つる草のやうに曲りくねつた山坂の意と解される。 往古は、ハべシナ峠(現四十八曲峠)に鎭座されていたが室町時代城の腰(現在地)に遷された。 |
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波閇科神社 上山田町指定文化財 波閇科神社本殿 昭和59年3月30日指定 波閇科神社は、延長5年(927)制定された延喜式の神名帳に登載されている古社である。 本社の祭神は天照大神で、相殿に豊受大神と日本武尊を奉祀している。 本殿奥の神殿は覆屋の中にあって、切妻平入の三間二面で、柱は円柱で正面中央に両開き板扉をつり、他の三方を横板張りとする。屋根は萱葺きとし、妻側両側に棟持柱を立て棟木を支え、妻の破風板が伸びて千木となり、屋根妻に鞭懸四本づゝを出した神明造り形式の社殿である。 千木は外そぎで、棟上に勝男木をのせていて、伊勢皇太神宮の社殿形式をとっている。 覆屋=神殿をおほっている建物 鞭懸=神明造りの破風板からつき出した材木 社頭掲示板 |
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波閑科神社 波閉は仮字也、科は、志奈と訓べし、○ ○山田村に在す 神社覈録 |
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郷社 波閑科神社 祭神 天照大御神 豊受大神 日本武尊 創立の年月詳ならず.されど古老の傳へに依れば、日本武尊の勘請にして.尊此里は山高く尾曳延たる処なりと宣給へるに因り波閇科と名づけ.後に日本武尊を配祀せるなりと.上山田村の内大組の産土神たり,即ち延喜式更科郡波閇科神社とあるもの是なり、神名帳考証、「波閇科神社、速瓢命.旧事紀云.速瓢命、中臣祓科戸風、按波閇速歎大和國波比売神社、伊豆国波布此売神社、埴安姫、倭名抄.埴安生、反布」神社覈録「波閇は假字也、科は志奈と訓ぺし,山田村に在す.」神祇志料波閇科神社、今上山田村城山にあり、(式内神社考按○按今村中に波閉坂叉波閑の地名あり」)大日本史(神祇志)波閉科神社(〇今在上山田村城山、村中有波閇坂蓋旧名之遺)大日本地名辞書云「波閇科神社社の邊をぱ波閇と字す,按に波閇科更級埴科はた立科倉品など皆シナを語根として前加したる地名なり.ハへは蔓延の義にてシナの木の一種欺、」と諸書挙ぐる所丙焉見ゐし.中古村上家の始祖藏人顕清を始め同家累代の産土神たれば其崇敬も殊に厚く、村上郷中百社の一宮と称せしとそ、蓋し波閇科と称する地は延喜式所載の古駅麻績より山東の諸郷に通ふ坂路にして本村の西にあり.中古より其坂路の羊腸たるを以て俗に四十八曲と称し、本社も亦延喜式内の古社にして且村上家の崇敬社たるを以て.只村上郷中の総社百社一宮とのみ称し、嘗て波閇科の號を称ふるものなきより、坂路と共に波閇科の号亦失せんことを歎き、天明2年吉田家に請ひて旧號を復称ぜり,而して上古寄せられしと云ふ御戸代田も今尚存し.字神戸と唱ふる地八町除歩ありといふ.明治6年4月村社に列し、同15年更に郷社に列す。社殿は本殿、拝殿.紳樂殿、神庫.鳥居二墓等を具備し.境内地5580坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |