当社のある岡田は旱魃になりやすい土地で、年々早害が続いたために、白雉5年(659)五穀の守護神とされる「保食神」を勧請し創建された。女鳥羽川水系の水霊を祀る。 |
由緒 祭神 保食神(豊受大神) 神域4224坪 創立詳かならざるも口碑は白雉5年五穀守護神を勧請、延喜の制に式内神社となる。又昔木曽義仲の配下岡田親義並松本城主水野侯元旦及び臨時に参拝ありしと伝う。明治5年郷社に列し、大正8年より本県知事参向し神饌幣帛料を供られしが、昭和20年宗教法人法の定により止むに至れり。 昭和31年3月 式内岡田神社社務所 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
松本市天然記念物 岡田神社旧参道のケヤキ(2本) 1.指定年月日 昭和62年4月14日 2.所在地 松本市岡田下岡田 3.所有者(管理者) 岡田神社 4.概要 県道惣社・岡田線の一角に岡田神社の旧参道がある。 この旧参道に鳥居とともにケヤキやアカマツが残っている。 なかでも鳥居東側のケヤキ二本は大樹で枝振りも大きい。 昭和六十年県道拡幅整備工事のため旧参道にある多くの樹木が伐採されたが、地元岡田神社氏子の熱意により、大樹であるケヤキが保存されたものである。 幹囲 北側 6.5m 南側 5.7m 枝振り 四方 12m 樹高 およそ 20m 平成元年3月 松本市教育委員会 社頭掲示板 |
岡田冠者親義の居館跡 岡田冠者親義は清和源氏といわれる清和天皇の六男、貞純親王を祖とし、祖父は源願義、父は新羅三郎義光といわれる。親義には、太郎重義、小次郎久義、井深三郎某という男子がいた。源氏の一族であつたため、木曽義仲と同様、平家追討の「以仁王の令旨」を受けた。木曽義仲の挙兵に際しては大将格で迎えられ、義仲軍の切戦「麻績・会田の戦い」では、信濃国府を出発した義仲軍の道案内として先頭に立ち、奮戦したと伝えられる。その後、横田河原の戦い等各所の戦いに従軍したが、寿永2年(1183年)5月11日、越中国と加賀国境の倶利伽羅合戦で平家の武将平知度と組討して戦死した。 この戦いには、子、重義、久義の名も見え、親義の郎党30余騎ともあり、岡田の地から大勢の者が京に向け従軍したことが分かる。 居館は屋敷の周囲に堀を廻らし、その揚げ土を内側に上げ、土塀を建てた防衛施設であり、居館の前面などの近くに町割(館町という)をして、家臣を住まわせた。 社頭掲示板 |
式内 岡田神社 祭神 保食神(ウケモチノカミ) 例大祭 5月4日・5日 沿革 岡田神社は、延喜式の神名帳に記載されている式内社であり、芝宮とも呼ばれ創建は白雉5年(654)と伝えられている。 祭神は五穀守護神「保食神」(ウケモチノカミ)である。 氏子は東区、塩倉、神沢、岡田町、松岡の町会て産土神(ウブスナガミ)、鎮守の神として住民の崇敬厚くおよそ1400年の歴史を誇っている。 岡田は、古釆より山浅く旱魃(カンバツ)地帯で住民は苦労してきた。 灌漑用水は、女鳥羽川より稲倉から引水して農用に供してきた。稲倉には水口神社があり、今も地元及び岡田の農業関係者によって毎年春の祈念祭が斎行されている。この祭神は弥都波乃売神及び保食神で、岡田神社の奥社ではないかども言われている。 平安時代、神社前の堀之内に館があったとされる。領主は岡田冠者親義が、嘉応2年頃(1169)社殿を修復したとされている。一の鳥居の両側にある推定樹齢600年以上の大欅より西進する参道は、途中折れて本殿正面に向かつている。これは岡田冠者親義の館があったたとされ、式年造営の際現在の位置に遷座され、そのままになったと推定される。社殿は何回も火災にあい、現本殿は平成3年(1991)に建立された、建築や修理を示す棟礼は、元禄13年より昭和28年まで12枚が保存きれている。 明治5年11月、社格制度が新たに交付され、郷社に移行し現在にに至つている、 平成29年5月 岡田神社 松本市地域文化財連絡協議会 岡田歴史研究会 社頭掲示板 |
岡田神社 岡田は袁加多と訓べし○祭神 ○岡田村に在す(考証) 神社覈録 |
郷社 岡田神社 祭神 保食神 創立の年月を詳にせすと雖も、延喜式内の旧社なり、今大宮大明神と云ふ、口碑に曰く、此村は年々旱魃の患ありて旱損あれば、白雉5年保食神を勧請すと、神名帳考証「岡田神社、今在岡田村、倉稲魂命、倭名抄云、稲魂、俗云宇加乃美太萬、大和宇陀郡岡田小秦命神社、倉稲魂命、」神社覈録、「岡田神社、岡田は哀加多と訓べし、岡田村に在す」と、其所在に就きては神祇志料大日本史(神祇志)等言ふ所皆異ることなし、信府統記、「東鑑、文治2年の條に平野杜領淺間社岡田郷今八幡宮領とあるは即此にて、(岡田郷とは今の岡田村本郷村にあたる)、浅間社は式内岡田社にあたる、岡田神を淺間ともいへるは、温湯ありて温湯の神霊を淺間と云ふこと富士山神の淺間に考合せて悟るべし(平野とは京都の大社也)と、大日本地名辞書亦之を載す、明治5年11月郷社に列す。 社殿は本殿、拝殿、神樂殿、鳥居等を具備し、境内地972坪(官有地第一種)あり 明治神社誌料 |