大山田神社
おおやまだじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大山田神社 信濃国 伊那郡鎮座

   【現社名】大山田神社
   【住所】長野県下伊那郡下条村陽皐 4588
       北緯35度22分40秒,東経137度46分59秒
   【祭神】大国主命 応神天皇 源爲朝
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       明治7年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元の鎮座地は阿南町深見字東條山田池明神とされる
        江戸期下條村菅野根の神神社が比定された
        元文年間鎭西八幡に移し、これを大山田神社とした

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「根ノ神神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】八百萬社・稲荷社・五社

本来、出雲系諏訪族の祖神として、また生産の神として崇敬されていたと思われる。
中世には殆どその存在は不明となった。
文明年間以後、甲斐武田氏の支族下條氏がこの地を支配し現在の大山田神社鎭座の地に源氏の守護神である八幡大神を勧請し「鎭西八幡宮」として奉祀した。
元文年間、時の鎭西八幡宮神主鎭西清行は、式内社大山田神社の復興を期し、鎭西八幡に程近い菅野の「根ノ神神社」に祀られていた大國国命を鎭西八幡に移し、これを大山田神社と定めて祀った。


大山田神社

重要文化財2登録  室町時代建造物
八幡社・為朝社
はちまんしゃ・ためともしゃ
神社の創建 :929年以前(平安時代)
八幡社の構造:桁行1間 梁間2間 流造 柿葺屋根
為朝社の構造:桁行1間 梁間2間 流造 柿葺屋根
建 造 年 :永正3年(1506)
祭  神  :建御名方命たけみなかたのみこと
 下条村の国道から少し山へ入った静かな集落の高い所に、周辺の地域を鎮護するかのようにひっそりと神社があります。ここは、かつて遠州街道が通っていた所をみおろす形になり、現在はうっそうとした杉に囲まれて周辺の景色は見えません。鳥居をくぐって進むと、八幡社・本殿・為朝社を風雨から守る覆屋と、そこから飛び出すように造られた拝殿が見えます。その他には公民館のような神社の集会に使われる建物なのか1建だけが境内の端にあります。
 覆屋の中は暗く、隙間から八幡社と為朝社の正面しか見えません。向かって右が八幡社で、左が為朝社で、中央が本殿になります。2つの社には彫刻がなく、意外とあっさりとした構造で、かなり古くから覆屋に守られたのかほとんど傷んでいません。
 大山田神社は、下伊那における式内社2座のうちの1つになります。下条氏の居城吉岡城から600mの所にあり、近くに龍嶽寺があります。八幡社は為朝社とほとんど同じで、目だった違いは蟇股の彫刻で、八幡社は花橘に2羽の鳩で、為朝社は鳩1羽になっています。近くの阿南町 古城八幡神社の八幡社、諏訪社と瓜二つで、4つの社を並べたらほとんどの人には違いが分からないでしょう。

http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/yamada.html



大山田神社

重要文化財指定
御祭神 大己貴命(大国主命)
 相殿 応神天皇
 相殿 鎮西八郎為朝
社地 下條村陽皐 4588番地
社殿 拝殿奥の覆屋に三社殿が祀られている
八幡宮社殿 (室町時代)重要文化財指定
間口2.57m 一間社流造、向拝付、二重繁垂木、栃板葺、縁勾欄、脇障子付、蟇股、   格調高い社殿である
大山田神社社殿(江戸時代中期)一間社流造
八郎明神社殿(室町時代)重要文化財指定
八幡宮社殿と同手法であるが稍簡素である。
この二社殿は室町時代中期、永正4年(1507)に再建された。蟇股、木鼻、斗拱、等当時の技法を伝え中央文化による数少ない貴重な社殿である。明治45年内務省より特別保護建造物に指定、昭和30年文化庁より重要文化財指定を受け、昭和47年文化庁による解体修理を行った。
神社の沿革、歴史
古代この辺一帯は「菅野荒野」と呼ばれ、万葉集に歌われ、菅野朝臣真道縁の地とされている。神社の創立年代は詳かではないが、平安時代醍醐天皇による延喜式神名帳に載る信濃国48座伊那郡2座の一座で、千年以上の歴史を持つ神社である。
室町時代にいたり、領主市下条氏はここに正八幡宮と諏訪明神宮を祀り一族の氏神とした。
これにより近郷の総鎮守として人々の崇敬厚く、特に下条氏七代目伊豆守家氏は京都より宮大工吉村氏一族を招き社殿の造営を為さしめ、現在当神社の他、古城八幡宮に二社殿が残り、何れも重要文化財指定を受けている。これは下条氏の文化水準、および力を示すものであり、・・・・・の重文を持つ式内社として貴重な存在となった。
江戸時代は人々の産土・・・・・八幡宮へ幕府より朱印地十石を与えられていた。寛永年間風倒木・・・・殿が損傷を受けるなど荒廃の時期もあったが貞享、延享、宝暦年代・・・・修復され、下条氏以来潜めていた式内社大山田神社の社名復活を行い・・・を富に集め、明治7年郷社に列した。
社叢、境内は数百年の老杉を初め杉桧の大木が茂り、この元に繁茂する植物は約260種類で、然も南限北限の植物が混生する貴重な場所とされ、特に「青木」の群生は珍しい。
祭礼 春 4月5日
   秋 10月10日 伝統の獅子舞が行われる

社頭掲示板



大山田神社

創建は不詳であるが、応神天皇、鎮西八郎為頼の社殿は永正年間に建立され、国の重要文化財である。
また、大国主命の殿内にある2対の神像は延喜の頃の作とされる。
特色としって秋祭には境内を獅子舞と共に廻る特殊神事が行なわれる。
重要文化財に指定されている相殿2社殿は室町時代永正4年(1507)下条氏が京都から招いた工匠によって造られる中央文化による和様禅宗様の技術を用い全体に造りが繊細で蟇股、鼻木妻飾りは当時の様式を伝え県下でも数少ない社殿である。
社叢は長野県自然100選の一つである南限、北限の植物が約280種類も繁茂している植物学上貴重な場所である。

長野県神社庁



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