式内社「意富比神社」(船橋大神宮)の元宮であるという説もある 意富比神社は景行天皇の御代40年に、皇子日本武尊が御東征の途次湊郷に創祀した。 のち社地を北方高陵の地(夏見の地=当地)に移した。 その後意富比神社が現在地(船橋大神宮)に遷したが、夏見の地には、遷祀された後にも、神明神社(八栄村西夏見、無格社)があつたが、それも明治41年7月同所の村社日枝神社に合祀せられた。 かつては当神社の南にある真言宗豊山派「夏應山 東照院 薬王寺」(本尊:薬師如来)との間の路傍に「神明社」の小祠があり、明治時代になって当神社に合祀されたということになっているが、本社殿の向って左にある境内社が「神明社」であるらしい。 |
由緒 夏見日枝神社は土地を司ると云われる大山咋神(おおやまくいのかみ、又の名を山末之大主之神)を祭神とし、魔除け・交通・家内安全・商売繁昌・病気平癒・学業成就・安産・良縁等すべて信仰することに因って成就されると云われています。当神社は山王様とも呼ばれ、伊勢神宮領の夏見御厨の中心地であったと云われています。また神社の建立は不祥でありますが一説に因れば、日本武尊の東征の頃と云われてます。毎年10月9日に年番氏子によって新藁縄で大蛇(龍)を造り、頭を伊勢神宮方向に向けて鳥居に飾り、五穀豊饒を祈る風習が伝承されています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
日枝神社 夏見、日枝神社は、土地を司どると云われる、大山咋神(おおやまくいのかみ、又は山末之大主之神)を祭神とし、魔除けの神と信仰され、鬼門除け、交通・家内安全、商売繁昌、病気平癒、学業成就、安産、良縁等、すべて信仰することに因って成就されると、云われております。 当神社は山王様とも呼ばれ、伊勢神宮領の夏見御廚の中心地で有ったと云われている。又、神社の建立は不詳であるが、一説に因れば、日本武尊の東征の頃を云われている。 毎年10月9日に年番氏子によって、新藁縄で、大蛇(龍)を造り、頭を伊勢神宮方向に向けて、鳥居に飾り、五穀豊穣を、祈る風習が伝承されている。 昭和63年9月吉日。 社頭掲示板 |
夏見日枝神社 広い境内には巨松多数生い茂り遠方からも神社がすぐに判る。土地の夏見は元「莱摘み」ともいわれ、神社近辺の畑などで今でも古代の土器片などが発見される。つまり海辺間近の台地で早くから集落の形成されたことが知られる。その海は徐々に遠のき、やがて広大な水田耕作が行なわれ、後に伊勢神宮の御厨にもなる。創建の年代は不詳だが、延喜式の頃とも推定される。 千葉県神社名鑑 |