茂侶神社
もろじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】茂侶神社 下総国 葛飾郡鎮座

   【現社名】茂侶神社
   【住所】千葉県船橋市東船橋7−20−1
       北緯35度41分37秒,東経140度0分1秒
   【祭神】木花咲耶姫命
   【例祭】7月1日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       貞観13年(871)11月12日従五位上
       元慶3年(879)9月25日正五位上

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「茂侶浅間神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

宮本中学校に南に接して鎮座する。
境内西北に神泉「天の真名井」がある。隣接して宮本中学校のグラウンドが造られてから水が出なくなったとされるが、現在も大師堂が建てられている。


茂侶神社

当茂侶神社の起源は古く、延喜式神明帳に「下総国葛飾郡二座茂侶神社・意富比神社」とあり、今を去る1060年前すでにこの地に鎮座されていたのであります。愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来、縁結び・安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました。
摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り、御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観13年11月11日、下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありました。
陽成天皇の元慶3年9月25日、下総国正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。西北にある湧水は「天の真名井」と称する当社の神泉であります。江戸名所図会によれば年の始に隔年この神域より柳営に根引若松を選び上納する旧例とあります。古来例祭は旧暦6月1日に行います。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



茂侶神社

船橋市の東側高台に古松多く繁り、かつては南側に海を間近く見渡し、西側には街の家並みを望む景勝地に鎮座する。往古には富士山の麗姿を遥かに拝して御祭神を祀った。「茂侶神社」の社名は「延喜式」に記載もあるが定かではない。

千葉県神社名鑑



茂侶神社

当茂侶神社の起原は古く延喜式神名帳に
下総国葛飾郡二座
茂侶神社、意富比神社
とあり今を去る1060年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります。
愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の象徴である木花開耶姫を祀り古来縁結び安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました。攝社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観13年11月11日下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありまた陽成天皇の元慶3年9月25日下総国正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。
西北にある湧池は天の真名井と称する当社の神泉であります。
江戸名所図会によれば年の始に隔年この神域より御営に根引の若松を撰び上納する旧例とすとあります。
古来例祭は旧暦6月1日に行う。

社頭掲示板



真名井について

ここは、古くは窪地になっており、その名を真名井と呼び、当時の人々は、ここの湧水から水を汲み、飲料水として使用しておりました。
昔弘法大師が訪れ、錫杖で掘りさげた泉という伝説があり、側に弘法大師を祀ってあります。
戦後、宮本中学校を造る為に校庭の整地をした頃から、湧水の水位が低くなっていましたが、当時の古老達がこのままでは弘法大師に申し訳ないと、井戸を整備し、大師堂を祀り直しました。
現在の大師堂はその二代目のお堂です。私たちもこれに倣って、壊れた井戸屋形を復元いたしました。

社頭掲示板





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