網戸神社
あじとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】胸形神社 下野国 寒川郡鎮座

   【現社名】網戸神社
   【住所】栃木県小山市網戸102
       北緯36度16分17秒、東経139度44分57秒
   【祭神】田心姫命 (配祀)大山祇神 天児屋根命
   【例祭】10月13日 例祭
   【社格】
   【由緒】大同元年(806)10月28日社殿再建
       天慶2年藤原秀郷祈願
       文治3年源頼朝領地寄進
       大正3年5月20日現在地へ遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】大正3年5月20日現在地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 網戸神社
   【社殿】本殿
       拝殿・手水舎

   【境内社】八坂神社・稲荷神社

筑前宗像神社の分霊を遷したと伝えている。思川西岸の平地に鎮座している。


由緒

当社の主祭神、田心姫命(水運の神)をいつ頃勧請したか、未だ明らかではないが、社殿の再建は、平城天皇の御代、大同元年(西暦806)10月28日である。
醍醐天皇の御代に、延喜式内に列したともいわれたが、詳らかではない。
天慶2年、藤原秀郷は、平将門追討に際し当社に祈願し、戦勝の砌、金百貫文を奉納した。
源頼朝も、文治3年、小山政光の妻、寒川尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋「左二ツ巴」を、当社の神紋としている。
この頃、藤原一族の祖神、天児屋根命(人神の間をとりもつ神)を併せて祀った。
江戸時代、後光明天皇の頃より、寛政・文政にかけて、社格問題その他で揺動し、かつ曲折した。
かくてその後、古河藩の治下にあっては、在郷の篤志家等が、神官を輔翼して、当社を護持し、維新を迎えた。
明治新政府は、国家神道の観点から、神社の再編成をなしたが、当地方は大幅に遅れた。
大正3年5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿二四四八番地の千古の杜より、旧城内に遷宮した。 この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高揚の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀し、既存の水神宮、天満宮、千形神社、権兵衛稲荷神社、三峯神社等と共に境内神社とした。
神事は、陰暦2月15日(湯立)、6月15日(八坂神社の祇園祭)、9月13日(十三夜)、及び陽暦11月27日(八郷廻りの御出)、12月22日(稲荷神社の冬至祭)である。
神職は、天正以降、小山家譜代久楽持家の世襲である。
天地のつきることなく縁なす
このふるさとの神をしぞおもう

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




網戸城跡

網戸城は思川と巴波川を自然の砦とする面積約10.8ヘクタールの平城でした。
築城は鎌倉時代(1185−1333)の初めで、初代城主は網戸十郎朝村です。結城家出身で、父は結城朝光、寒河尼(小山政光の妻・頼朝の乳母・地頭職)を祖母とし、結城家領の網戸郷を治めました。
網戸氏は代々の城主を継承しましたが、南北朝(1336−92)の争乱で、重朝が奥州で討死にし、子の村重は結城合戦(1440−4)で敗れ、会津の葦名氏の家臣となり遂に廃城となりました。
城址は大字網戸字追切・折本の両字にわたり、西城・中城・外城・御古座・陣屋、その他御城沼・しらじ沼と称する城囲堀などの地名が残っています。城址には網戸神社・旧網戸小学校跡・称念寺(寒河尼と朝村の墓所)があります。

社頭掲示板




網戸神社

当社の主祭神、田心姫命(たごりひめのみこと)(水運の神)をいつ頃勧請したか、 未だ明らかではないが、社殿の再建は、平城天皇の御代、大同元年(西暦806)10月28日である。
 醍醐天皇の御代に、延喜式内に列したともいわれたが、詳らかではない。
 天慶2年、藤原秀郷は、平将門追討に際し当社に祈願し、戦勝の砌、金百貫文を奉納した。
 源頼朝も、文治3年、小山政光の妻、寒川尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。
以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋「左二ツ巴」を、当社の神紋としている。
 この頃、藤原一族の祖神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)(人神の間をとりもつ神)を併せて祀った。
 江戸時代、後光明天皇の頃より、寛政・文政にかけて、社格問題その他で揺動し、かつ曲折した。
 かくてその後、古河藩の治下にあっては、在郷の篤志家等が、神官を輔翼して、当社を護持し、維新を迎えた。
 明治新政府は、国家神道の観点から、神社の再編成をなしたが、当地方は大幅に遅れた 大正3年5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿二四四八番地の千古の杜より、旧城内に遷宮した。
 この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高揚の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀し、既存の水神宮、天満宮、千形神社、権兵衛稲荷神社、三峯神社等と共に境内神社とした。
神職は、天正以降、小山家譜代久楽持家の世襲である。

社頭掲示板



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