健武山神社
たけぶやまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】健武山神社 下野国 那須郡鎮座

   【現社名】健武山神社
   【住所】栃木県那須郡那珂川町健武2302
       北緯36度45分0秒、東経140度11分41秒
   【祭神】日本武尊 金山彦命
       『神社覈録』「祭神分明ならず」
       神主芳賀兵衛「祭神須佐之男命

   【例祭】4月3日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大同元年(806)創建
       承和2年(835)2月従五位下
       天保15年(1844)唯一神道に改められた
       明治6年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】大和朝廷の軍事的拠点がありその勢力の齋き祀る神
   【祭祀】江戸時代は「健武大権現」と称していた
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       拝殿・手水舎・神饌所・社務所

   【境内社】
   【旧別当】修験東泉院

天平19年、奈良に大仏鋳造が始められ仏像に塗る黄金が不足していた。この年に下野国のこの地から砂金が発見され、聖武天皇の朝廷に献上された。これが我が国最古の産金である。
武部・健武は建部すなわち日本武尊の御名代部であるから、那珂川を遡上した大和朝廷の軍事的拠点が此辺にあり、その勢力の齋き祀る神を鎮定したと思われる。


由緒

社記に日く、当神社の創立は大同元年にして、延喜式神名帳所載、下野国十一社の明神たり。承知2年5月に下野国武茂神に従五位下を授り、此の神座は採砂金山にありと続日本後記に載せられ、今尚本社は砂金山に鎮座す。衆庶尊信篤く、住古本社は武茂郷に属して水戸領に帰す。源斉昭公当社を崇敬して社領七石を寄進す。弘化元年正月、那須郡にある水戸領十八ヶ村の総鎮守と定む。社域七百八十五坪。明治6年、郷社に列せられる。当神社沿革は続日本後記那須記下野神社沿革誌に記載せらるるを以て、地方有名神社にて庶民尊崇最も篤く今日に及ぶのである。
尚、古代産金の里の碑は奈良時代の天平19年、奈良に大佛鋳造が始められ佛像に塗る黄金が不足していた。この年に下野国のこの地から砂金が発見され、聖武天皇の朝廷に献上された。これが我が国最古の産金である。
これを後世に伝えるため昭和63年3月に建立された。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




健武山神社

健武山神社(健武さん・健茂さん)
 本社は延喜式内下野十一社の一つで大同元年の創始といわれています。
 大字健武字武部と天梅の地にあって祭神は「日本武尊」と「金山彦命」の二社で日本書紀に「日本武尊白鳥云々……欲録其功名即定武部」とあります。
 また、この地方の産金は「那須のゆりがね」として昔から和歌にも詠まれ遠く都にもその名が知られておりました。
 「金山彦命」については、続日本後紀に「承和2年下野国武茂神に従五位を授け比神採砂金の山に座すとみえる」。そして水戸斎昭が深く崇敬し社領十七石を寄進され、毎年の例祭には奉幣紙が遣されていた。
 境内の古杉老樹、目前の武茂の清流はいにしえの歴史伝説へと心を誘う景勝の地でもあります。
  〔社殿〕
    本殿(神明造)
    拝殿(神明流造)
    手水舎・神饌所・社務所
  〔祭祀〕
    例祭 4月3日
    祈年祭 2月22日
    新嘗祭 11月23日
  〔特殊神事〕
    髪焼祭(婦女髪の焼納)1月14日夜
    注連縄焼き 1月15日朝
馬頭町観光協会
1985年10月 建立

社頭掲示板



古代産金の里

奈良時代の天平19年(747)奈良に大仏鋳造が始められ、仏像に塗る黄金に不足し聖武天皇は大層お悩みになられた。この年下野国から黄金の発見が奏上された。
これがわが国最古の黄金である。この地の黄金は長年にわたって朝廷に献上され大陸文化の輸入に役立った。
のち、平安時代の承和2年(835)黄金を産する山に鎮座する武茂の神に従五位下の位が授けられた。
かくの如くこの地はわが国最古の産金の里であった。
これを後世に伝えるため「古代産金の里」の碑を建立するものである。
昭和63年3月
天生目順一郎

社頭石碑



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