荒橿神社
あらかしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】荒樫神社 下野国 芳賀郡鎮座

   【現社名】荒橿神社
   【住所】栃木県芳賀郡茂木町小井戸325
       北緯36度32分21秒、東経140度11分26秒
   【祭神】国常立尊 国狹槌尊 豊斟渟尊
   【例祭】11月26日 秋季大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】大同元年(806)9月9日創立
       元文年中(1736−40)火災
       享保6年(1712)本殿再建
       明治4年茂木藩の藩社
       同六年5月郷社
       明治43年9月神饌幣帛料供進社指定
       昭和13年2月県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】本来は神木として樫を祀る
   【祭祀】江戸時代は「高藤権現」と称していた
   【社殿】本殿権現造銅板葺素木塗
       幣殿・拝殿・手水舎・神饌所・社務所・神庫

   【境内社】

大同元年(806)の創建と伝える。戦国時代茂木知基の築城した桔梗城の鬼門除けとして厚く信仰された。
本来は樫を神木として祀ったものと思われる。
式社は現在大前神社の相殿の事代主命とする説あり


由緒

平城天皇の御宇大同元年9月9日茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑寅の方字高藤山上に創祀され地方著名の古社である。延喜5年醍醐天皇の勅撰により延喜式内下野十一社の第五に列す。享保6年茂木領主細川長門守工費を寄進本殿を改造建立す。明治4年茂木藩社となる。昭和9年より同11年にわたり御社殿その他修築造営され昭和13年2月14日付県社に昇格、下野十一社中第四位に昇進、現在におよぶ地方衆庶の篤き崇敬を蒐めている社である。境内は高燥にして城山に対し社頭より茂木市街を望み、眺望絶佳なり。神域には樹齢一千年余の杉、樫、欅の老樹欝蒼と生い繁り老樹を背景に鎮り坐す。御本殿は銅板葺屋根に燦然と輝き御神紋も一際神々しい。千木は大空に弥高く聳え立ち神威の高大崇厳なる神境である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




荒橿神社

荒橿神社 (案内)
所在地 芳賀郡茂木町小井戸
主祭神 國常立尊
國狹槌尊
豊斟渟尊
境内地 2014坪
社殿 本殿権現造り6坪
幣殿 〃 〃 3.7坪
拝殿 〃 〃 10坪
手水舎、神饌所、社務所
神庫、鳥居二基
境内木
 目通り4m以上 杉5本、樫1本、欅1本
             (樹令千余年)
 〃 〃3m以上 杉19本、樫4本
 〃 〃2m以上 杉18本、樫8本
         其の他 百数十本
例祭 4月17日
11月26日
由緒
 平城天皇の御宇大同元年9月9日茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑寅の方字高藤山上に創祀された地方著名の古社である。延喜五年醍醐天皇の勅撰により延喜式所に其の名を載せられ式内社として下野十二社の一つに数えられ茂木領主細川家の崇敬殊の外篤く享保六年茂木領主細川長門守工費を寄進本殿を造営された。昭和11年より県社に昇格郷土の守護神として崇敬の的である。古くから霊験現なる神として家内安全、商売繁昌、交通安全等々の祈願のため近郷近在はもとより遠く県外からの参詣者が多い所である。

社頭掲示板



荒橿神社

大同元年(806年)、茂木桔梗城主の鬼門除社として城の丑寅の方、字高藤山に創祀されたと言われている古社です。
國常立尊、國狭槌尊、豊甚斗淳尊の三神が祀ってあり、延喜式神社に列しています。
境内は県指定天然記念物である「荒橿神社のケヤキ」をはじめ、樹齢数百年のスギ、カシなどに囲まれ、夏でも薄暗くひやりとし、平安の神威を誘ってくれます。
環境省・栃木県

社頭掲示板



荒橿神社のケヤキ

■ 栃木県指定記念物[天然記念物] ■
荒橿神社のケヤキ
平成2年1月26日指定
所在地■小井戸325番地/荒橿神社
推定年齢●約800年
大きさ●樹高25.5m、目通周囲6.2m
枝張り:東西25.0m、南北21.0m
ケヤキは、ニレ科の落葉高木で本州各地に広く分布し大木となり、昔から硬い良材の代表とされ、家社寺の建築に用いられ、本県にも天然記念物指定のものが数多くある。
荒橿神社は旧県社で、主祭神は國常立尊・國狭槌命・豊斟淳尊、延喜式神社に列し、大同元年(806)の創建と伝える。戦国時代茂木知基の築城した桔梗城の鬼門除けとして厚く信仰された。江戸時代茂木藩主細川長門守興栄により本殿が再建された。神域には樹齢500年余の杉等の老樹が生い茂っている。

社頭掲示板



荒橿神社三重塔(現阿弥陀堂)

この荒橿神社の三重塔(現理阿弥詑堂、以下阿弥陀堂という)の創建については、わずかに桔梗城が完成した元弘3年(1333)先勝祈願のために「三階堂阿弥陀堂」を建立したという説があるが、それを確認できる資料は見当らない。
しかし、昭和63年にこの阿弥陀堂の様式、構造等について詳細に調査を行った結果、最も重要な上層の組上げ構法を初め、細部の様式に至るまで、高明寺三重塔(1543年、国指定重要文化財)との共通点が多く、時期的な近さが感じられる。
又、全体として簡略化された部分が目立つことなどから、西明寺三重塔より若干時期が新しい可能性が強い。それを裏付けるものとして、阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀像の体内に残された墨書に永禄7年(1564)作とあること等から、この阿弥陀堂の創建は永禄年間(1558−70)ですることができる。
栃木県内に現存する木造塔婆は、西明寺・・・三重塔(1685年、国指定重要文化財)、高勝寺三重塔(1751年 県指定文化財)、東照宮五重塔(1818年 国指定重要文化財)の4棟で、一部(初重部分)しか残されていないとはいえ、この阿弥陀堂は大変貴重なものといえる。
左図は、現在の阿弥陀堂をもとに、創建当時の三重塔を復元したものである。
平成2年8月 茂木町教育委員会

社頭掲示板



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