二荒山神社(中宮祠)
ふたあらさんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】二荒山神社(名神大) 下野国 河内郡鎮座

   【現社名】二荒山神社(中宮祠)
   【住所】栃木県日光市中宮祠2484
       北緯36度44分29秒、東経139度29分13秒
   【祭神】大己貴命 田心姫命 味耜高彦根命
   【例祭】4月13日−16日 例祭
   【社格】下野国一の宮
   【由緒】天応2年(782)奥宮創建
       天応4年(784)中宮祠創建
       元禄14年(1701)中宮祠本造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】中宮祠は当初よりこの地に鎮座

   【祭祀対象】男体山を御神体山として尊崇
   【祭祀】江戸時代は「日光大権現」「日光三社権現」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・手水舎・神饌所・社務所

   【境内社】

男体山を古来神体山として崇拝の対象に仰いだことに始まるという


由緒

日光二荒山神社は太古、秀峰二荒山(男体山2484m)を神鎮まり坐す御神体山として尊崇したことから奉祀された御社である。
御祭神は二荒山の大神と申し大己貴命(大国主命)、妃神の田心姫命、御子神味耜高彦根命三柱の大神をお祀りし、延喜式名神大社、下野国一の宮と崇められ国幣中社に列せられた名社である。
主神大己貴命は国土経営、産業開発、凡ての産業を司り福の神と称へられ、農業、醸造、婚姻、温泉、医薬の祖神として遍ねく国土国民を守り幸へ給う神で、妃神、御子神と共に御神徳いよいよ高く広く輝き給うのである。男体の御山に大己貴命、女峰の御山に妃神、太郎の御山に御子神が鎮まりまして、親子三神大空に聳えて和気あいあい団欒の和やかさを拝すれば自ら景仰の思ひ新たなるものがある。 当社の境内地は面積凡そ三千四百町歩に及び伊勢神宮に次ぐ広大な境域で、日光連山の主峰男体山を始め、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山、前白根山、奥白根山の諸山は夫々神体山として気高くそそり、鬱蒼たる原始林に囲まれ華厳滝、白雲滝、般若、方等七滝等名瀑がどうどうと千古の神韻を轟かしている。此等の地域は悉く神域たると共に日光国立公園の中枢となっている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




二荒山神社(中宮祠)

日光二荒山神社は海抜2486mの標高を誇る関東一の霊峰男体山(二荒山、黒髪山とも呼ばれる)を御神体山として、奈良時代の天応2年(782年)に勝道上人により奉祀された。下野国一之宮と崇められ、明治6年に国幣中社に列せられる。
御社は日光市内三か所に鎮座しており、男体山頂に奥宮、日光市山内の東照宮西並びに御本社、男体山登拝口であり北岳南湖の景勝の地に中宮祠が鎮座する。
境内地は男体山を始めとする日光連山・華厳滝・いろは坂などが含まれ、日光国立公園の中枢をなし総面積は約3400ヘクタールに及ぶ。
登拝門
霊峰男体山の登山口で、毎年5月5日から10月25日まで開かれ登拝することができる。
唐銅鳥居(重文)
台座に蓮の花があしらわれた神仏習合の名残を残す鳥居である。
山霊宮(やまのみや)
男体山信仰に貢献された登拝講社の方々の御霊を祀る御社。
毎年10月25日に顕彰祭を執行する。
牛石(うしいし)
かつて牛馬禁制を破って連れてこられた牛が神の怒りを買い、石にされてしまった伝承のある史跡。大正時代に消失したが、平成21年に地元の有志が復元した。
水神碑
大正10年に中宮祠渡船組合が創建した。
水波能売神を祭る。
毎年9月5日には例祭が執り行われ、神賑行事としてスワンボートレースが開催される。
日光二荒山神社宝物館
太古より連綿と続く霊峰男体山信仰により奉納された宝物、山頂祭祀遺跡の発掘品、その他郷土資料等を公開するため昭和37年に開設された、栃木県第一号の私立博物館である。
刀剣類
太刀、刀、脇差、短刀、槍等国宝、重要文化財を含む170口余りの刀剣を所有する。
男体山頂祭祀遺跡出土品
二荒山神社の御神体山である男体山頂には奈良時代からの祭祀遺跡があり、大正13年、昭和43年の学術調査により約10,000点の出土品が発掘され、一括重要文化財に指定されている。山頂遺跡は西の沖ノ島(宗像大社)と双壁をなす我が国屈指の祭祀遺跡であり、山の正倉院とも称される。
その他
皇室の御物や本社例大祭で使用されていた神輿など数多くの宝物を展示する。
御所車香炉〈左〉温泉神社銅祠〈右〉(重文)
香炉は明治天皇の皇后である昭憲皇太后が所持された、王朝雅のかおり漂う御物。皇室より二荒山神社に御下賜された。
温泉神社銅祠は屋上の前面に銘文があり、永正10年(1513)に天命の鋳工によって製作されたことがわかるる
大太刀備前長船倫光(国宝)
この太刀は野太刀又は背負太刀とも呼ばれる長大なものであり、作製年代は南北朝時代。全長1.24メートル、拵は野太刀拵で太刀と同時代のもので現存する希少な太刀である。
大太刀祢々切丸(重文)
二荒山神社の御神刀のひとつである。作製年代は南北朝時代。
全長3.4メートル・重量22.5kgであり日本一の大太刀である。例大祭の弥生祭では男体山麓より雄鹿3頭を捕り、その生皮にのせて大前にお供えする習わしになっている。
名の由来は、日光山中のねねが沢に棲んでいた化け物「祢々」を自然に鞘から抜け出して斬ったことから名づけられた。
金銅装神輿三基(重文)
新宮(本社)滝尾(滝尾神社)本宮(本宮神社)各社の神輿で、毎年4月の例大祭「弥生祭」に使用されていた。作製年代は南北朝時代で現在の栃木県小山市付近で作製された。雅な京風の神輿と異なり、坂東風の力強い作風である。
山霊感応
奈良時代の末に、男体山に登頂するべく困難を重ねた開祖勝道上人が大谷川にはばまれ神仏に祈念したところ、深沙大王が現れ腕の蛇が絡み合い橋となった。二荒山神社の神橋の伝説の緊張の一瞬を日本画の巨匠前田青邨画伯が描いた作品である。宝物館に飾られる事を想定し勝道上人一行が山頂の方角に向かい合掌するように構成されている。
男体山頂祭祀遺跡発掘品(重文)
男体山頂には奈良時代からの祭祀遺跡があり、約10,000点の出土品が発掘され、一括重要文化財に指定されている。
鉄鐸は神霊を招き邪気を祓う呪具、また獣害などの危害を避ける法具として用いられたと考えられる。
銅鏡は山頂での祭祀に使用されたものと考えられ、160面以上発掘されている。代表的なものは、写真の「瑞雲飛鳥入稜鏡」や「海獣葡萄鏡」などがある。
銅印は11穎発掘されているが、中でも写真の印は「束尼寺印」とあり鶏頭鉦の寺印(公印)である。

由緒書



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