村桧神社
むらひじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】村桧神社 下野国 都賀郡鎮座

   【現社名】村桧神社
   【住所】栃木県下都賀郡岩船町小野寺2255
       北緯36度22分10秒、東経139度37分28秒
   【祭神】誉田別命 (配祀)大山咋命 熊野大神
       『神社要録』「祭神詳ならず」
       伴信友『神名帳考証』「応神天皇」

   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】大化2年(646)9月29日能野大神・日枝大神を勧請して創立
       大同2年(807)皆川村の小野口、八幡沢の八幡宮を合祀
       承平2年(932)藤原秀郷再建
       天慶2年(939)平將門の乱で藤原秀郷奉幣祈願
       文治年中(1185-90)小野寺太郎藤原通綱再建
       明治6年5月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡」と称していた
   【社殿】本殿三間社春日造檜皮葺
       拝殿・神樂殿・手水舎・神札授與所、休息所、社務所

   【境内社】西宮神社

藤原秀郷、唐沢山に築城の際当神社が鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬し、天慶2年(939年)平将門叛の時、これを亡ぼし村桧神社の御神徳の賜ものであると奉幣且つ弓矢を奉納した。
本殿は室町時代の建築で、明治41年に特別保護建造物(旧国宝)に指定、現在重要文化財。


由緒

創祀は孝徳天皇の御宇大化2年(646年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷(小野寺、上岡、下岡、三谷、新里、古江、下津原、駒場、鷲巣、畳岡)の総鎮守として崇敬され、のち平城天皇の御宇大同2年(807年)に皆川村小野口に鎮齋せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。
醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、全国二八六一社の延喜式内社に列せられる。
藤原秀郷公、唐沢山に築城の際当神社が鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬し、天慶2年(939年)平将門叛せし時、藤原秀郷公これを亡ぼし村桧神社の御神徳の賜ものであると奉幣且つ弓矢を奉納、又永代七○貫文を奉り特に尊信した。(下野国誌。)
現在の社殿(本殿)は室町後期の建物で三間社春日造屋根は桧皮葺にして国の重要文化財の指定を受けて居り、造営に付いては小野寺領主、唐沢城主、足利義持等があたったと伝えられている。など崇敬極めて厚く、下野国式内三之宮として今もなお崇敬せられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




村桧神社本殿

国指定 むらひじんじゃほんでん
建 造 物 村桧神社本殿
指定年月日 昭25・8・29
所在地 下都賀郡岩舟町小野寺
管理者 村桧神社
制作時期 1553年(天文22年)
アクセス方法 JR両毛線岩舟駅より車で10分
公開状況 公開
創建は646年(大化2年)で、主神は誉田別命、配神は熊野大神と大山咋命とされています。905年(延喜5年)、醍醐天皇の命令によって、朝廷の儀式や作法、諸国のならわしなどを記録したものを「延喜式」といいますが、このなかに国々の国司が奉幣すべき神社を書き上げている「神名帳」があり、それに載っている神社を「延喜式内社」といいます。栃木県には12の「延喜式内社」があり、村檜神社もそのうちのひとつです。
村檜神社は、小野寺十郷の総鎮守としてだけでなく、中世時代以降は小野寺保の領主の小野寺氏や唐沢城主の佐野氏をはじめ多くの武将の崇敬をうけました。
本殿は、1553年(天文22年)に建てられたもので、記録では、飛騨の工匠甚五郎の作とされています。本殿の西南側の柱には、埋め込みの工法で甚五郎作といわれる「うり」が刻まれています。県内では珍しい三間社春日造、屋根は檜皮葺でこれも県内ではここだけです。構造・彫刻いずれも室町時代後期の傑作として、1908年(明治41年)に特別保護建造物として国の指定をうけました。向拝の海老虹梁の側面や、斗■の拳鼻、屋根の懸魚の彫刻類はすべて図柄が一つずつ異なっていて、室町時代特有の華麗な絵様も格別で、県内はもちろん他にもあまり例を見ないほど、その技法はすばらしいものです。

http://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/100.htm



延喜式内村桧神社

村桧神社は大化2年(646)9月28日創建と伝えられ、御祭神は誉田別命である。この地はもと佐野庄に属し、小野寺・上岡・下岡・三谷・古江・新里・下津原・駒場・鷲巣・畳岡の諸村を小野寺十郷と称した。
当社はこれら村々の総鎮守として崇敬せられ社で由緒ある延喜式内下野十二社の一つである。清和天皇の御代栃木市小野口町八幡に祀った八幡大神を光孝天皇の御代当社に合祀した。
醍醐天皇の御代勅により全国の神社を調査した時、当社もその選に加わり、それにより延喜式内村桧と称することになった。
社殿は桧皮葺の三間社春日造で国の重要文化財の指定を受けている。この特徴に拝殿と本殿との区別がなくむねから両脇に流れる極端な屋根の勾配がみごとに調和され、正面ひさしを支える柱の上のマス組は室町時代中後期の社殿作りに見られないものである。
各種の絵様繰形と彫刻を盛んに使用し意匠は豊富、手法は斬新で雄健俊逸の気性があると評されている。
なお本殿左方の柱には、飛騨の工匠甚五郎の作といわれる「うり」の彫刻があり、昔変事のあるとき色が青く変わったといわれている。
昭和47年4月
岩舟町教育委員会

社頭掲示板



村檜神社

創建は孝徳天皇の御宇大化2年(646)と伝えられ、熊野大神、大山咋命の二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷の総鎮守として崇敬され、のち平城天皇の御宇大同2年(807)に皆川村小野口に鎮座せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、延喜式内社に列せられ、下野國三之宮として今もなお崇敬されている。
現在の社殿は室町後期の建物で三間社春日造屋根は檜皮葺にして国の重要文化財の指定を受けている。

栃木県神社庁



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