大平山神社
おおひらやまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大神社 下野国 都賀郡鎮座
          (奥宮)大平山神社(奥宮)

   【現社名】大平山神社
   【住所】栃木県栃木市平井町659
       北緯36度21分45秒、東経139度41分35秒
   【祭神】瓊瓊伎命 天照皇大神 豐受姫大神
       (配祀)伊邪那岐神 大己貴神 天宇受賣命 御食津神 大物主神
       別天神 月夜見尊

   【例祭】 4月22日 例祭
   【社格】
   【由緒】神護景雲年間(767-70)大神神社を奉齋
       天長4年(727)慈覚大師円仁が創建

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 大平山神社
   【社殿】本殿
       随神門・神門

   【境内社】交通安全神社・福神社・子易神社・星ノ宮
       天満宮文章学舎・稲荷神社・三輪神社・足尾神社・奥社剣宮
       下社二ツ木神社・浅間神社・上宮神社・厳島神社・八幡神社
       愛宕神社・大杉神社・機織姫神社

   【境内図】 境内図

標高343m、二上型の太平山の山頂近くに鎭座する。神仏習合の中心地として栄えた。


由緒

太平山神社は、神護景雲3年(769年)、今より1223年前この地に鎮座なされました。(奥の宮、三光神社太平宮は約1700年前) 時至りて人皇53代淳和天皇の御宇天長4年(827年)、勅命により天下太平を祈る社として社頭の造営がなされ、慈覚大師円仁により多くの末社寺も建てられ、以来天下万民の心の支えとして下野国の信仰の文化の中心として信仰され今日に至ります。御祭神は「瓊々伎命−ににぎのみこと」を主神として仰ぎまつりて、天照皇大神・豊受姫大神・稲荷大神を始め四十二座の神様をお祭り申し上げております。故に古来人々の家内安全・商売繁盛・事業繁栄・開運・交通安全・厄除け・学業成就・願望成就・縁結び・安産・命名・初宮参り・身上安全・豊作祈願・方除け等々の「祈願成就」の「祈祷の神社」として信仰され、年に八十二度の祭りが斎行され、特に「正月の元旦祭・毎月一日の月参り・4月19日太々神楽・5月5日粽祭・6月の大はらい・7月1日交通安全祭・満願祭・7月第一日曜精勝祭・11月の七・五・三参り」など、日々の参拝者や祈祷者は数十万に及びます。又、四方の眺望は陸の松島といわれ、四季それぞれに美しい景観を呈し、自然の神々の偉大さにふれることが出来ます。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




太平山神社略記

鎮座略記
太平山神社の歴史は諸鎮神座記によれば、人皇11代垂仁天皇の御宇、大物主神、天目一大神が三輪山(現太平山)の剣宮に鎮座なされた時に始まるという。
天正15年(1587)の記述によればおよそ1650年前とあり、元文4年(1739)の記述は、およそ1810年前とある。他の古文書も多くは垂仁期を鎮座始めとしている。
垂仁天皇の時代は1900数十年前のことであり文書等で明らかに出来ないが、太平山神社の周辺からはそれよりも遥かに古い石器や古代の祭祀遺跡が出土する事を見れば、非常に古い時代より信仰される社が在った事が伺いしれる。太平山神社の新時代の歴史は養老3年(719)と神護景雲3年(769)が記述されている。太平山神社の祭が、神護景雲3年から数えて斎行されているところから、飛島時代から奈良時代にかけて、大規模な造営がなされたことが伺い知れる。しかし、太平山神社が本当に新しい時代を迎えるのは、平安時代の天長4年(827)である。人皇53代淳和天皇の御宇、下野の国が生んだ名僧慈覚大師円仁は、最澄入寂後度々下野に足跡を残している。それは、一つには師最澄が尊信していたと言われる三輪神社を祭る現太平山を通して、仏教を広める事にあったと思われる。太平山開山記を見ると、大師は何年にも渡り入山を拒否されている。おそらく仏教の入山を拒否する大きな信仰があったのであろう。その後大師は淳和天皇の勅額を奉じて入山に成功している。この時の勅額は天正13年の戦火で消失し、その破片のみにて、太平宮、大神杜どちらが書かれて在ったか定かではないが、元中、明徳3年(1392)に後小松天皇が勅額を下賜せられた時の、添翰には太平山神社の御名がある。その後亨保4年(1719)崇保院宮の、御額には太平大権現とある。いよいよ神仏交流の時代を迎えたのである。大師のお力により一大宗教の聖地、まさに神仏の鎮まります御山となり、これより数年で摂末社六十余社、二十余の寺院を遷座建立したことが、宝暦9年の神社お取り調べにも書かれ旧号大神社(おおみわのやしろ)と記載されている。まさに名僧慈覚大師円仁は、後世太平山開山の祖と讃えられるお方であった。此の後、太平山神社信仰は色々な形で今日に至るまで各地に、静かな広がりをなし、多くの人々の心の支えになって下さっている。
御神徳記
太平山神社は瓊々伎之命、天照皇大神、豊受姫大神を始め御稲荷様、天満宮、福の神様、足尾様など「四十二座」の神様をお祭り申し上げております。太平山神社は五十三代淳和天皇の御代、風水害や疫病などで庶民が苦しむ様に御心を痛められ、下野の目の「霊峰三輪山」に『庶民の太平を祈る社」を造営せよとの詔を賜り、「日の神」太陽のように、命を育む御神徳を下さる神様。天照皇大神
「月の神」月のように、安らぎを与えて下さる神様。豊受姫大神
「星の神」星のように、人生の道案内をして下さる神様。瓊々伎之命
「日、月、星」の神徳を現す三座の神様を、お祭り申し上げました。
すると世は治まり、天皇様は大いに喜ばれ、「太平之社」の勅額を下賜され、三輪山に祭られる「三輪之社」「大神之社」と呼称されてきた神社は一奥之宮として、「剣之宮」と共に鎮座なされ(禁足地です)、現在の所に太平山神社や摂末社が造営されました。以永太平山に鎮庄なされる「おさめのかみさま」として=国を太平に治め=社会を平和に導き=会社を繁栄に導き=家内の安全を守り=一人々の人生の開運守護神として万民の心の支え、祈願成就の神様として篤く信仰されてきました。そして太平山は、「神鎮まります山」として御神徳あらたかなる多くの神々が鎮座なされ、いろいろな祭典が行われ、今日なお年間八十数回お祭が斎行され、神代からの教えと信仰を祈り続けております。
御祭神
瓊々伎之命(ににぎのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
此の三柱の神様は御本殿にお祭りもうしあげる主神と相殿の神々です。御本殿に十柱の神々を祭る。
関東十勝の地、「陸の松島」と讃えられる豊かな大自然に恵まれた太平山まさに神々がお創りになられた聖地であります。四季折々の景観は多くの人が桜・新緑・あじさい・紅葉を楽しむ、そんな風光明媚な中に太平山神社の神々は悠久の時を経て厳かに鎮座なされておられます。
御祭神は、此の三柱の神様を始め、四十二座の神々をお祭り申し上げております。
境内摂末社
交道安全神社  猿田彦命を祭り道開きの神として全ての交通の安全を守る
福神社     福神社の神様は今日あることを感謝し、未来を開く神様です
福之神社    天之受売命を始め神楽の神々を祭り感謝と芸道の神様です
恵比須社    恵比須の神を祭り、生産販売の商売繁盛の栄えを守る神様
大国主社    大国主命を祭り、経営、医薬、開拓、五穀を守る神様です
天満宮文章学社 菅原道真公、菟道稚郎子の神を祭り、学業成就の神様です
星之宮     天海水木土火金地の神を祭り、人生の正しい道案内の神様
子易神社    木花開耶媛命を祭り子授け、安産、妻の幸を守る神様です
太平山稲荷   豊宇気毘売神を祭り、農耕殖産、万民豊楽の神様です
蔵稲荷     倉稲魂神を祭り、蔵の安全と栄えを守る神様です
伏見稲荷    宇迦之御魂神を祭り、全ての商売繁盛を守る神様です
三輪神社    大物主大神、大己貴神、少彦名神を祭る、結びの神様です
足尾神社    日本武尊を祭り、身体健康、足腰の病を治療する神様です
皇大神宮    伊勢両宮の神を祭り地域の安全を守る神様です
稲荷神社    保食神、大宜都売神を祭り衣食住の神様です
厳島神社    市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命を祭り、水神の神様です
上宮神社    聖徳太子を祭り、建築や工匠の守り神様です
大杉神社    大杉之神を祭り、病魔を祓い清める神様です
機織神社    機織媛命を祭り、衣の産業の守り神様です
浅間神社    木花開耶媛命を祭り、延命長寿の守り神様です
愛宕神社    火之迦具土神を祭り、鎮火、火防の神様です
八幡神社    誉田別尊(応神天皇)、比売神、神宮皇后、文明の神様
葦舟社     蛭子の御霊をお祭りしています
祭礼祭日
1月1日元旦祭・旧1月8日神蛇祭・旧1月14日粥懸祭2月15日初恵比須・1月15日小正月・1月25日初天神・2月3日節分祭・2月16日初稲荷祭・2月19日当社祈年祭・3月15日子易祭・4月3日学業祭・4月19日太々神楽祭・4月22日いざなぎ祭・5月5日綜祭・6月20日大祓い・7月1日交通安全祭満願祭・7月日曜日精勝祭・8月1日八朔祭・8月盆中涼風祭・10月17日当社神嘗祭・10月18日大祭・11月9日当社御例祭・11月15日七五三・11月20日より恵比須大国祭・11月25日当社新嘗祭・12月20日納め恵比須・12月25日納め天神祭・12月31日大祓い・年間祭日八十余回

社頭掲示板



大平山神社隋神門について

神門は享保8年(1723)の建築で前に左右大臣、後に仁王の守護神を配したもので、大平山が寺院の山として栄えていた頃の名残です。明治初年神仏分離の令により仁王門が隋神門となり、仁王と神像の安置場所がかわったわけで、神仏混淆時代の記念物です。
建て方は入母屋造り扇垂木でからかさ天井といわれています。
環境庁栃木県

社頭掲示板



大平山神社

御神徳記
太平山神社は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)をはじめ、多くの神様をお祀りしています。
第53代淳和天皇の御代、風水害や疫病で人々が苦しむさまに淳和天皇は御心を痛められ、「下野国(今の栃木県)の霊峰三輪山に天下太平を祈る社を造営せよ」との詔を賜り、日の神であり太陽のように命を育む「天照皇大御神」、月のように人々に安らぎを与える「豊受姫大神」、星のように人生の道案内をしてくださる「瓊瓊杵命」、この「日・月・星」の御神徳をあらわす三座の神様をお祀りするために太平山神社が造営されました。すると忽ち世の中は治まり、大いによろこばれた淳和天皇は、勅額を下賜されたのです。
そして、もともと此地でお祀りされていた神様は奥宮(剣之宮・武治之宮)に鎮座されました。
以来、太平山に鎮座している神々は「国を太平に治め、社会を平和に導き、家内の安全を守り、商業を繁栄に導き、人々を守護する祈願成就の神様」として万民の心を支え、篤く信仰されるようになりました。「おさめの神、鎮まります御山」である太平山には御神徳あらたかな神々が鎮座しており、多くの祭典が今日尚執り行われ、人々の幸せを祈り続けているのです。
御鎮座略記
太平山神社の歴史は『諸神座記』を始め多くの古文書によれば、垂仁天皇の御宇に大物主神(おおものぬしのかみ)・天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現在の太平山)に鎮座されたときに始まると云われております。今からおよそ二千年も前のことですが、太平山神社の周辺からは古い時代の祭祀遺跡・祭祀遺物が出土しており、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことが伺い知れます。
『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827)、天皇の勅額を奉じることでついに入山を果たした」とあります。これが今日伝えられている「天長四年慈覚大師開山説」で、旧暦1月8日に執り行われる神蛇祭(しんださい)の祝詞にも伝えられています。こうして太平山神社は「神仏」を祭る山としての第一歩を迎えたのです。この後、太平山は神鎮まる御山として一大宗教の霊地となり、摂末社および寺院が八十余遷座・建立されました。
さらに明徳3年(1392)には後小松天皇から「太平山神社」の額を下賜されましたが、天正13年(1585)の戦火で、これら淳和・後小松両天皇の額は焼失してしまいました。
戦国時代に北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだという言い伝えが残っているほど、関東平野を一望できる地に太平山神社は鎮座しております。天正年間に兵火によって社殿が焼失してしまう不幸がありましたが、近世の初期には早くも復興し、徳川幕府から朱印地50石を認められました。さらに寛政年中(1789〜1801)には「御願御抱場」となるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰されました。『雲上明鑑』『雲上明覧』にも「下野 太平山宮司」「野州 大平山神主」または「野州 大平山別當」と記載されるなど、武家伝奏が朝廷へ執奏する社でもありました。
太平山神社は様々な歴史を経て参りましたが、古い昔から、多くの人々の心を支え続けてきたのです。

公式HP



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