伊雑宮の南約800mの地に鎮座し、大歳社又は穂落社とも称えられる。 倭姫命が志摩国ご巡行の際、鳥の鳴く声高くきこえて夜昼止まないので、これを見させると、葦原の中に一株の稲が生えていて、根本は一本で穂が千穂にも分れて茂っていた。 一羽の真名鶴がその穂をくわえて飛びながら鳴いているのを発見し、この鶴を大歳神(五穀の神)と崇めて、この地に祀ったのであると言い伝えられている。 江戸以前から「大歳社」と呼ばれ、明治以降は「佐美長神社」と称されている。 社殿は東面しており、『磯部郷土史』によると、「猿田彦神が伊雑海口から西に向つて進ませられたのを迎え奉つた事による」という。 伊雑宮所管社である。 奉斎した氏族は島津国造族と考えられ、同族の二方国造と同じく大歳神を祀ることから、海神族の特徴が顕著に見られる。 |
佐美長神社 佐美長神社(さみながじんじゃ) 伊雑宮所管社 大歳神(おおとしのかみ 祭神は五穀豊穣の神、大歳神。 古くから穂落社(ほおとしのやしろ)ともいわれている。祭神が真名鶴となり、稲穂を運び落としたのが千田(ちだ・稲を生ずる地)であると伝えられている。社地には小社殿ながら、伊雑宮所管社の佐美長御前神社四社、祭神は佐美長御前神(さみながのみまえのかみ)がご鎮座されている。 神宮会館 |
佐美長神社 伊雑宮所管社 伊雑宮より約800メートル南に御鎮座する佐美長神社は、大歳社または穂落社(ほおとしのやしろ)とも称され、大歳神(五穀の神)をお祭りしています。倭姫命がご巡行を経て、鳥の鳴く声が止まらないので従者に見に行かせると、芦原の中に根本は一本で穂が幾重にも分かれて成る稲があり、一羽の真名鶴がその穂をくわえて飛びながら鳴いていました。この鶴を大歳神と崇めて、この地にお祭りしたとの伝えが残ります。今も地主の神として崇められ、寺鎮等の信仰があります。同社の御前には、佐美長御前神をお祭りする佐美長御前神社の小祠四社が並んでいます。 参拝の栞 |
同島坐神乎多乃御子神社 同島は前に同じ、粟島也、神は加牟と訓べし、乎多乃御子は假字也、〇祭神大歳神○伊雑宮同処に在す〇倭姫世記云、彼稻生地乎千田号支、云々、(事は前に見ゆ)彼鶴眞鳥乎號、称大歳神、同処祝充奉也、云々、又云、伊雑宮一座、云々、(事は前に見ゆ)大歳神一座、國津神子、形石坐、 連胤按るに、前の二社は別社なれど、原は一ッにして別社には非るべし、古來同社地に在すを考ふれば、伊佐奈岐宮、月読宮と同処にあるが如くなれど、御子神社は別宮どは崇め來らぬ故に、彼是と異説の起る也、抑伊雑宮を、儀式帳、太神宮式等には一座といひ、此式には二座といへるより、くざぐさの考へ出來て、此一座を、世記には伊佐波止美神、また玉柱屋命といへるを、儀式解十二に、当宮に坐神、古き人のいひ伝へたるは云々、(倭姫世記にも此事を注す)稻の殊に志なびたるは太御神の恩頼なれば、その恩頼を蒙りしは伊佐波止美神なれば、同殿に祭り奉ると云り、然るをただ、伊佐波止美神をのみ祭るなりといふは、儀式、大神宮式神名を挙ず、ただ太神宮遥宮とあるに合ず、ごれも荒祭神の所にいふが如く、神名を称すべき事ならず、ただ大御神の恩頼をば祭るといふべし、一説伊雑宮は、玉柱屋命を祭るといふは、論ひにも及ばずと云り、然れば實に犬御神の恩頼をのみ祭るならば、此式にも伊雑宮とのみいふべきを、假宇書にして二座と載せしは、荒祭宮と同日の論にはあらざるべし、ごは大神宮の御魂をも合せ祭りし故に、儀式、大神宮式には遥宮と載せたれど、其神実は、止美神、柱屋命なるべし、今も御樋代二具ありとあるを考へ合すべし、 神社覈録 |