伊射波神社
いざわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】粟島坐伊射波神社 二座 (並大) 志摩国 答志郡鎮座

   【現社名】伊射波神社
   【住所】三重県鳥羽市安楽島町 1020
       北緯34度28分23秒,東経136度52分29秒
   【祭神】伊射波登美命 (配祀)玉柱屋姫命
   【例祭】7月7日 例祭
   【社格】志摩国一宮 旧無格社
   【由緒】創建は明らかではない
       明治初伊射波神社と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初よりこの地にあった

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「加布良古大明神」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】社

加布良古崎の北斜面に鎮座する。海路をとれば手前の砂濱に舟をつけることも可能であるが、近くに人家はない。
海岸に鳥居があり往時は舟で通ったのであろう。
創建は明らかではないが、古代の人々は、海の道から加布良古崎に宿る女神を拝んできた。社殿の脇には昭和31年(1956)に再建された籠堂がある。昔からこの堂に篭って、大漁の祈願や修行をする人々がいた神域であった。
伊射波神社2座のうち1つは当社、1つは伊雑宮とする説がある
『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、伊射波神社2座は合祀されて伊雑宮に祀られたので、当社は式内・伊射波神社ではないとする。
加布良古明神は古くは荒前神社と呼ばれたらしく、古代・中世の史料に伊射波神社の名はない。


伊射波神社

志摩国の一ノ宮 式内伊射波神社
通称「かぶらこさん」
主祭神
稚日女尊 伊佐波登美尊 玉柱屋姫命 狭依姫命
縁起
人里離れて椎・タブなどの原生林に覆われた神域には、平成13年秋に造営された木造神明造りの本殿・拝殿と平成4年に新築された龍堂があり、神前に佇めば、何がしか森厳さを感じさせます。
当社は、古来より加布良古太明神、志摩太明神と呼ばれ、地元安楽島や近在では「かぶらこさん」の愛称で親しまれてきました。
志摩国の一ノ宮・式内伊射波神社の格式ある由緒は、延喜5年(905)醍醐天皇の勅命により、藤原時平・忠平らが編纂した『延喜式神名帳』に、
志摩国三座 大二座小一座 粟嶋坐 伊射波神社 二座並大 同島坐 神乎乃御子神社 小一座
と登載されているからです。つまり安楽島の古名である粟嶋には、伊射波神社があって二柱の神が祀られ、格式はともに大社、小社として神乎多乃御子神があるということです。
大二座のうちの一座、伊佐波登美尊を祀った本宮は、安楽島町字二地の贄にありました。昭和47年から61年にかけて鳥羽市教育委員会が発掘調査をし、その全貌が『鳥羽贄遺跡発掘調査報告』に報告されています。
遺跡は、縄文中期から平安中期に至るまでの時代の連続した復々合遺跡で、おびただしい数の製塩、祭祀用土器、儀礼用同鏃(矢じり)、神水を得るため欅の巨木を刳り抜いて造った豪勢な井戸、神殿と思われる建物跡が発掘され、皇族、貴族が往来した痕跡が見つかっています。こうしたことから、古代伊射波神社は国家にも崇敬された偉大な「賛持つ神」であったことの証と云えましょう。
伊佐波登美尊は第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、伊勢国内宮に天照大神の御魂をご鎮座させた折、これを奉迎して鎮座に尽力し、また志摩国の新田開発にも大きな功績を残したと伝えられています。
後、大歳神と号された尊は伊射波神社本宮の衰退と共に、加布良古崎の伊射波神社に遷座されました。玉柱屋姫命は『倭姫命世紀』によれば、天孫瓊々杵命の重臣で水の神として崇敬された天牟羅雲命の裔(子孫)で、神武天皇の勅により伊勢国を平定した天日別命の娘と記されています。
大二座のもう一座は、稚日女尊を祀る加布良古崎の伊射波神社。
霊験あらたかな神様として知られる稚日女尊は、加布良古太明神とも称され、朝廷に捧げる贄物の一部を太明神にも奉納するいう別格の扱いを受けていました。
「加布良古の外峰に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし、加布良古の沖の汐ひかば、宮古(都)へなびけ我もなびかん。加布良古の大明神に、遊びの上分参らする請玉、宝殿」
これは今から461年前書き写された「外宮摂末社神楽歌」の最後の方の一節です。
古代、安楽島の前の海では潮廷に捧げる貝(あわび)を採る神事が行なわれ、その様子を歌ったものです。
加布良古太明神ともいわれた女神、稚日女尊を姫小松に見立て、「この松は千年の後も栄えるでしょう。加布良古の沖の汐がひいたら、神事で採れた貝を納めに都へ行きます。加布良古の太明神に分け前を奉納してから」というものです。
この神楽歌から、古代伊勢神宮とは浅からぬ関係にあったことが推測されます。
『神功紀』によれば、「尾田(加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟島=安楽島)に居る神(稚日女尊)とあります。稚日女尊は天照大神の妹君、分身とも云われ、第15代応神天皇の母君である神功皇后の崇敬厚く、皇后が筑紫国(九州)から倭国に凱旋した折にも、常に御許においてお祭りされていました。
狭依姫命は、宗像三女神の一柱である市杵島比売命の別名で、厳島神社のご祭神でもあります。安楽島では、粟嶋と呼称されていたころ、神乎多乃御子神社(小一座)のご祭神として、加布良古崎の前海にあたる長藻池(海図では長藻瀬とある)という島嶼にお祭りされていましたが、戦国国の世地震によって、その社地は海底1.8mに水没してしまいました。幸いご神体(石体)は村人らによって見つけ出され、現在は伊射波神社に合祀されています。
御神徳
縁結び・夫婦和合・海上安全・大漁祈願・五穀豊穣・合格祈願・病気平癒(特に女性)
主な催事 明神祭7月7日に近い目曜日(午前10時から)
     大漁祈願祭11月23日(午前10時から)
     勤労感謝祭 〃
交通
鳥羽駅(近鉄・JR)で下車。連結するバスターミナルから、安楽島行きの三重交通バスで約20分。そこから、加布良古崎山頂の鎮座地まで徒歩で約30分。要所に「右一ノ宮」の標石が配置されています。

由緒書



大漁旗掲げ御用材

鳥羽・伊射波神社
遷宮で400人パレード
「志摩の国一の宮」として知られる鳥羽市安楽島町・伊射波神社の式年遷宮に伴う「御用材搬送パレード」が2日、氏子や遷宮造営委員ら約400人が出てにぎやかに行われた。
同神社は奈良時代から平安時代初期に創建された。
パレードは、11月に二十年に一度の式年遷宮を迎える奉祝行事で、お木曳きに当たる。神社式年遷宮造営委員会(宮浜浅次郎委員長)を設置し準備を進めてきた。
漁協前広場での出発式では、氏子や児童らが木やりを奉唱。大漁旗を掲げた漁協役員竹本昭和さん(57)らの漁船十四隻と軽トラックに御用材十七本を積み、海上と陸上をパレードして神社へ運んだ。御用材は順次使用され、16日には上棟祭がある。

平成13年9月3日 読売新聞(三重版)



伊射波神社

当社は、加布良古崎山頂に鎮座し、椎や椨などの巨木の林立する境内に、神明造の本殿と拝殿、籠堂があります。『延喜式』神名帳にも大社として登載されている由緒ある神社です。志摩の国一之宮として全国各地より参拝者が訪れています。
由 緒
 神代の昔、天照大神のお側にお仕えしていた高貴な姫君であらせられる稚日女尊を加布良古崎に祭祀したことに始まり、平安時代の『延喜式』神名帳にも大社として登載され、加布良古大明神、志摩大明神とも称されています。伊佐波登美尊を主祭神とする伊射波神社の本地は、安楽島の二地にありましたが、平安時代の終わり頃に加布良古崎に遷座されました。安楽島が、粟島と呼称されていたころ、加布良古崎の前海にある長藻地という島嶼に神乎多乃御子神社がお祭されていましたが、戦国の世に水没してしまいました。幸い、ご神体は村人により見つけ出され、現在は伊射波神社に合祀されています。

三重県神社庁



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