越木岩神社
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   【延喜式神名帳】大国主西神社 鍬靫 摂津国 莵原郡鎮座

   【現社名】越木岩神社
   【住所】兵庫県西宮市甑岩町5-4
       北緯34度45分31秒,東経135度19分19秒
   【祭神】蛭子大神
   【例祭】9月21日 例大祭
   【社格】
   【由緒】正保年間(1644年頃)に社殿が再建

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】巨岩
   【祭祀】
   【公式HP】 越木岩神社
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

夙川学院短大の南に鎮座する。
「式内社調査報告」を初めとして諸資料には記載がないが、神社の由緒、HPでは大国主西神社であると称している。
当社のご神体は周囲約40m・高さ10mの一大大岩(花崗岩)。酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられた。


由緒

当社は東六甲山麓唯一の霊地で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社である。創立不詳といわれるぐらい由緒深く、甑岩を霊岩とし、今なお全国的に信仰を集めている。また、古代信仰の磐境・磐座祭祀と呼ばれ学術上貴重とされている。今を去る千年前の延喜式神名帳に大国主西神社が記録されてるが、当社であろうと思われる。正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年8月16日(1656)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称した。以後数回社殿は修覆されたが、現在の見事な片削破風流造の御本殿は昭和11年に、また、拝殿は昭和58年に御造営になったものである。歌謡に「杜のふもとに甑を立てて招く湯の里ヨホホイ越木岩」とうたわれた。
越木岩・苦楽園・夙川鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神としてあがめられている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




越木岩神社

当社は東六甲山麓唯一の霊場で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社です。創立不詳といわれるぐらい由緒深く、甑岩を霊岩とし、今なお全国的に信仰を集めていまする。また、古代信仰の磐境(いわさか)・磐座(いわくら)祭祀と呼ばれ学術上貴重とされています。
 今を去る千年前の延喜式神名帳に大国主西神社が記録されているが、当社であろうと思われています。正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年8月16日(1656年)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧進し、蛭子太神宮と称しました。以後数回社殿は修復されたましたが、現在の見事な片削破風羽流造のご本殿は昭和11年に、また、拝殿は昭和58年に御造営となったものであります。
 歌謡に『杜のふもとに甑を立てて、招く湯の里ヨホホイ越木岩』とうたわれて、越木岩・苦楽園・夙川・鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神(うぶすながみ)としてあがめられていいます。
ご神体
 当社のご神体は周囲約40m・高さ10mの一大大岩(花崗岩)です。酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ていることから「甑岩」と名づけられました。
 摂津名所絵図や摂津志によると「甑岩神祠は甑岩村にあり祭神巨岩にして倚疊甑(きるいこしき)の如し、此地の産土神(うぶなすがみ)とす」と記してあるように霊験あらたかな霊岩であり『安産の神・子授けの神』として昔から崇拝され、今尚ご「神徳を頂戴できる」「霊気を感じる」「パワーを感じる」「癒される」と熱心に毎朝毎夕お参りされる方が多くいらっしゃいます。
 また、巨岩ご神体の形状から女性自身に例えられ、女性をお守りくださる神として、「甑岩」にお参りすると【子授かり】【安産】のご利益があると言われております。
 夙川(しゅくがわ)は昔から綺麗な川で、透き通った水の流れに、川底の白い砂がキラキラと輝いていました。この川は「こしき岩」のあたりから流れ出ているといわれていました。人々はこしき岩を神様の岩として大切にしてきました。そこから流れてくる夙川ですから、綺麗なのは当然でした。今でも岩の側に綺麗な湧き水が出ています。
 「こしき岩」は「越木岩」という字も使われますが、「甑(こしき)」に似ているので「甑岩(こしきいわ)」と言われるようになったのです。
 「甑」というのは酒造りのお米を蒸したり、麻布の材料にする麻の茎を蒸したりする道具のことです。一度に沢山蒸すので、ものすごい蒸気を噴き出します。
 「甑岩」はそのような形をしたとても大きな岩です。高さが12メートル、まわりは大人が手で繋いで30人分もあります。山にどっかりと越を据え、天に向かってそびえ立つ、大きな大きな岩なのです。そのあたりは、この岩を守るかのように古い木が生い茂り、昼間でも薄暗い感じがします。人々は昔から神様の岩として恐れ、大切にしてきたのです。
 いまから400年程前、大阪城の石垣を築く工事が始まった頃の事です。日本全国のお殿様が家来(けらい)に命じて、あちらこちらの山を探させ、大きな石を見つけては、大阪へ運んできました。あるお殿様が、この甑岩に目を付けました。
「あんな大きな石なら、城の石垣にすれば、さぞ見事なものであろう。是非もっていって、手柄にしたい。早速切り出せ。」
 それを聞いた甑岩の村の人たちは心配しました。
「この岩は昔から白い龍が住み着いている神様の岩だ。これを割って、ここから運び出すようなことをすれば、どんなたたりがあるやもしれん。お願いです。おやめ下さい。」
 村の長老(ちょうろう)達は必死になって役人に頼みました。けれども役人達は、この申し出に耳を貸そうとはしませんでした。「お殿様の言いつけだ」と、大勢の石切職人がいっせいにうち下ろした槌の音で、ノミが岩に食い込みました。カーン、カーンと響く音は、山々にこだましましたが、見守る村人の耳には、山鳴りの音のように無気味に聞こえるのでした。
 「これは大変だ。必ずたたりがあるぞ。」大声で怒鳴りましたが、石切職人たちの耳には届きません。
 ノミを打つたびに火花が散ります。それがだんだん激しくなり、そのうちに岩の裂け目から白い煙が吹き始めました。恐ろしいことが起こるに違いない、と思う間もなく、その煙が白色から黄色へ、そして赤に、それから青、黒へと変わり、それらが入り交じって、ものすごい勢いで音を立てて吹き出しました。
 その熱気は、不思議な力をもっていて石切職人達は手足をふるわせ、苦しみもだえ、斜面を転がり落ちました。そして、やがて息絶えてしまったのです。
 その様子を見た役人達も、さすがに震え上がり、命からがら逃げ出しました。
こんな事があって、甑岩はいっそう人々から大切に思われるようになりました。今でも大岩にはその当時のノミの跡が一列にのこっています。
ご祭神
それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(えべっさん)を勘定し、蛭子太神宮と称しました。
行事
祭典月   祭典日   祭典名  概要 行事・祭事風景
1月 1日 新年祭
午前10時より 新暦ではあるが、この1年の家内安全・五穀豊穣を祈念します。
三が日は神酒を振る舞います。
9日 十日戎 朝9時から夜まで商売繁盛の吉兆『きっちょう』、福笹を授与千円授与毎に空クジなしの正月お供え・縁起物等が当たる福引を実施。好評をいただいております。
 3日間とも商売繁盛ご祈祷を5,000円から受け付けております。
10日
11日
15日 とんと焼き 正月お飾りを焼納
お正月にお迎えした神様(歳神様)をお送りする、日本の伝統的な行事です。
2月 3日 節分祭
午後7時より 節分祭の祭典後、境内でみんなで思いっきり豆まきをしましょう。
子供たちが多く参加します。
朝9時より先着1000名様福豆授与【無料】
11日 建国記念祭
午前10時より 拝殿にて祭典を執り行い、国旗掲揚をします。
3月 4日 春祭 春に今年の豊年満作を祈願します。(拝殿にて祭典のみ)
下旬
金曜
土曜
日曜 椿祭(鎮花祭) 春、花が咲く頃昔は疫病がはやりました。当社はヤブ椿が自生しており、見事な花をつけることから椿まつりとして斎行しております。毎年金曜は椿セミナー、土曜は奉納演芸、日曜は13時より祭典。直後から奉納カラオケ大会を行っています。 6月 30日 夏越大祓 半年間に知り知らずのうちに身についた罪・穢れをお祓いいたします。少しですが夜店もでます。
7月 16日 夏祭り
午後2時より 暑い夏を健康に過ごせるよう湯立て神楽【ゆたてかぐら】を奉納します。このお湯にかかると病気にかからないといわれ、また湯立て神楽で使用した笹の葉を持ち帰るとお守りになると当地では言い伝えられています。
8月 下旬 甑不動明王
献灯祭 金・土・日曜いずれか18:30献灯祭祭典
皆様のお願い事などを書かれたものを献灯として掲示し、ライトアップします。
9月 21日 例大祭 18:00頃〜西宮薪能
西宮市で唯一の薪能が奉納されます。
鑑賞無料
22日 9:00例大祭祭典
祭典後だんじり巡行を行います。
23日 9:00〜すもう大会
平成14年から赤ちゃんの泣きずもうを復活しました。
幼年・小学生・一般(大人)の部があります
参加賞・上位入賞は賞品、トロフィーあり。
13:00頃福餅まき
14:00〜だんじり巡行を行います。
11月 15日 七五三祭
(11月中受付) 男子は三歳と五歳、女子は三歳と七歳に成長を感謝し、益々の成長と守護を祈願します。
30日 新嘗(にいなめ)祭
(新穀感謝祭) 秋の収穫を終え、豊穣の感謝をします。
12月 31日 大祓い 大祓(半年間に知り知らずのうちに身についた罪・穢れをお祓いします。

旧HP



越木岩神社

当社は東六甲山麓唯一の霊場で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社です。
甑岩を霊岩とする信仰は磐境(いわさか)・磐座(いわくら)祭祀と呼ばれ、当社が鎮座する地域一帯の磐座群の象徴として祀られており、古くから特に女性守護、子授・安産の神さまとして信仰されています。
神社の創始は、600年〜700年頃と推定されるぐらい由緒深く、延長5年(927年)に纏められた延喜式神明帳に載る摂津国・菟原郡(のちに武庫郡に合併)に鎮座する「大国主西神社」は当社と比定されています。正保年間(西暦1644年頃)に社殿が再建され、明暦二年(西暦1656年)の8月16日に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称しました。以後、数回社殿は修復されましたが、現在の見事な片削破風羽流造のご本殿は昭和11年に、また、拝殿は昭和58年に御造営となったものであります。
歌謡に『杜のふもとに甑を立てて、招く湯の里ヨホホイ越木岩』とうたわれて、越木岩・苦楽園・夙川・鷲林寺・柏堂という関西の高級住宅地の産土神(うぶすながみ)としてあがめられていいます。
ご祭神b それまでの磐座(いわくら)祭祀の頃を経て正保年間(1644年頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656年)8月16日、円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神(ひるこおおかみ)を勧請し、蛭子太神宮と称しました。
蛭子大神とは“えべっさん”の事です。

公式HP



甑岩

祭神 甑岩大神 岩社祭神 市杵島姫大神
左前方にある高さ10m周囲40mの花崗岩の岩は、その形状が酒を造るときの甑に似ているので甑岩と名付けられています。
古代信仰の磐境(いわさか)・磐座(いめくら)をなし霊岩とされ神が鎮まつていると、古来より言われています。
今を去る約干百年前(延喜年間)には、この岩より煙がたちのぼり、茅沼浦(ちぬのうら)(大阪湾)や戸田庄(西宮市戸田町・西宮神社が海岸であつた頃)入江のあたりの舟からも見えたと伝承されています。
室町時代の俳諧の祖・山崎宗鑑(1464年〜1553年)が句を残しております。
 照る日かな蒸ほど暑き甑岩
この神の鎮まる霊岩を大坂城築城のために切り出そうと、村人達の制止の懇願にかかわらず、豊臣秀吉が石工達に命じて割らせていたところ、今にも割れんとする岩の間より、鶏鳴し、真白な煙が立ち昇り、その霊気に石工達は、岩諸共転げ落ち倒れ臥し、如何にしても運び出せなかつたと伝えられています。境内にある残石は申すまでもありませんが、この甑岩にも池田備中守長幸(松山城主六万五千石)の刻印があり、一部は搬出されたようです。
「安産の神」、「殖産興業の神」、「諸願成就の神」として崇拝され修験者が修行した霊験あらたかな岩です。
是非一周され御神徳をお受け下さい。
平成6年6月6日
越木岩神社社務所
西宮市甑岩町五番四号
◎特別祈祷守「甑岩」社務所にて授与しております。

社頭掲示板




越木岩神社

東六甲山麓唯一の霊地で、天然記念物の森におおわれた霊験あらたかな神社である。
 創立不詳といわれるぐらい由緒深く、甑岩を霊岩とし、今なお全国的に信仰を集めている。
 また、古代信仰の磐境・磐座祭祀と呼ばれ学術上貴重とされている。
 延喜式神名帳に大国主西神社が記録されてるが、当社であろうと思われる。
 正保年間(1644頃)に社殿が再建され、明暦2年(1656)に円満寺の教順僧侶が「福神」の総本社西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称した。
 以後数回社殿は修覆されたが、現在の見事な片削破風流造の御本殿は昭和11年(1936)に、また、拝殿は昭和58年(1983)に御造営になったものである。

兵庫県神社庁



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