神戸女学院大学の構内にある。 広田神社の境外末社 岡田山の中腹に位置し、南に旧広田部落を見下ろす景観の地にあつたが、いまは、周囲を大学校舎に取り囲まれている。 中世以后頗る衰頽して境内にただ二、三の樹木のみ存していたと伝えられている。 『吉井神主家日記』の文政5年(1822)2月7日の条によると、従来神木のみがあつて祠がなかつたが、この度一坪ばかり練塀を築こうとして広田村の岡田氏数家の寄進により敷地の内に土を運んだが、未申の方に少し石の現われたのがあつたので、これを堀りおこしてみると、横巾一尺五寸、高さ二尺五寸の石祠であつた。驚いて神主に届けでて子細に調べてみると正しく岡田神社の石祠にまちがいなく、後に大阪奉行所の認許を得て即ち本祠とした。 この発掘された石祠は、本殿の床下に今なお保存されている。 |
岡田神社 注意すべき口碑として、往古筑前國岡田村の者が神功皇后に供奉してこの地に至り、廣田社の創建に奉仕し、ついにこの地に居住し、子孫が繁榮してやがてその祖神をこの山に鎭祭したものであるという。現在廣田村に岡田姓を名乗る者が多いのはそのせいである。古事記神武天皇の條に「筑紫の岡田宮に一年坐しましき」とあつて、早くから皇化に俗していたものと推察され、岡の縣主、熊鰐の岡というのは筑前遠賀の地の縣主で、北九州の土豪である。廣田の岡田姓と何等かの深い関連があるのではなかろうか。 式内社調査報告 |
岡田神社 廣田神社摂社 岡田神社 祭神 岡田大神 創立年は詳らかではありませんが、「延喜式」神名帳には「岡太神社」として官幣小社に列されています。 また、筑前国岡田村の者が神功皇后に従ってこの地に至り、廣田神社造営のため廣田村に居住、その子孫が先祖の霊を祀ったとも伝えられています。明治11年、廣田神社摂社に定められました。 社頭掲示板 |
岡田神社 祭神;岡田大神 創立年は詳らかではありませんが、『延喜式』神名帳には「岡太神社」として官 幣小社に列されています。 また、筑前国岡田村の者が神功皇后に従ってこの地に至り、廣田神社造営のため 廣田村に居住、その子孫が先祖の霊を祀ったとも伝えられています。 広田神社HP |