小戸神社
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   【延喜式神名帳】小戸神社 摂津国 川辺郡鎮座

   【現社名】小戸神社
   【住所】兵庫県川西市小戸1-13-17
       北緯34度49分44秒,東経135度25分8秒
   【祭神】大山津見尊 素盞嗚命 天児屋根命
   【例祭】10月18日 秋季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       明治6年8月村社

   【関係氏族】榛原公
       新撰姓氏禄  「摂津国皇別 榛原公 大山守命之後也」

   【由緒】旧地は現在花屋敷と称される釣鐘山の山麓という
       移転の詳細は不詳

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「小部天神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造
       拝殿

   【境内社】稻荷神社・藤森神社

市役所南西の住宅地の中に鎮座する。
猪名川の西岸一帯に住居する住民の産土神として崇敬されていた。当地は猪名川川畔の低層地で、鎮座以來の社地であつたかどうか疑わしい、古老の言に、旧地は現在花屋敷と称される釣鐘山の山麓にあつたと伝えられているが不詳。
境内に兵庫県指定天然記念物の大楠がある。
小戸集落はもともとは釣鐘山のすぐ麓にあったとされている(共同墓地は今も残る)、いつの時代にか山を下り、猪名川の畔に村ぐるみで小戸神社と共に移住したようである。


由緒

創立年代は不詳なれども、当小戸神社は応神天皇の皇子大山守命の後である榛原公の一族に因って始めて小戸神社を祭祀せしものか、古事記の応神天皇の段に曰く「即詔別者大山守命爲山海之政大雀命執食国之政以白賜云々」とあれば、大山守命は諸国の海人部、山守部の統領なればその子孫たる榛原公も山守部として当地に来てその職当山守部なるが故に、大山津見神を奉齋したものであり、明治6年8月村社に列せられ、昭和42年社殿改築し現在に至る。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




小戸神社の由緒

小戸神社の創立は、今から1200年以上も溯り(阪神間においでも極めて歴史ある神社です。ご祭神は、大山津見命・天児屋根命・素盞鳴命の三柱の神様をお祀りしています。
大山津見命は、国土創造のイザナギ・イザナミの間に生まれた神で、山々を司り、国土安泰・家内安全・酒造り・商売緊盛・夫婦和合の守護神とあがめられています。
天児屋根命は、天照大神が天の岩戸隠れをした時、美声であつた天児屋根命が天の岩戸の前で祝詞を奏上する役を担当し、天照大神はうっとり聴きほれてついに天の岩戸を開けたという美声の主で、子孫繁栄・出世開運・芸事の守護神です。
また素盞鳴命は八岐の大蛇退治で有名な神で、国土安泰・厄除け疫病退治など信仰厚い神様です。
このような神様をおまつりする小戸神社は、小戸・小花・寺畑・栄根地域はもとより、今日では川西能勢口駅を中心に花屋敷・栄町・中央町・絹延町や美園町に暮らされる人たちによって産土大神として悠久に崇敬されています事は、私たちの郷土の誇りとするところであります。

社頭掲示板






白龍大神由来

今を去る1000余年前源氏大将源満仲公が住吉神社の返橋の上から神矢を放し、此の矢の停まった所に住居を定めるとて矢を放した矢の落ちた処が沼であった、今の鼓ヶ滝、其の沼には九龍が住んでいた、其の内雄一尾に矢が命中して死ぬ、其の所に九龍神社祀る。その後残りの龍は鼓ヶ滝の滝壺の中に住て居たが度々の大水害で流され、鶯の森に昇った者天王宮□□西側に昇った者が即ち白竜大神と祀らる。
その後村、町が次々発展、繁栄今日の川西市となる。
昭和34年6月吉日

社頭掲示板



小戸神社

創立年不詳。
 応神天皇の皇子大山守命の後である榛原公の一族に因って始めて小戸神社を祭祀せしものか、古事記の応神天皇の段に曰く「即詔別者大山守命爲山海之政大雀命執食国之政以白賜云々」とあれば、大山守命は諸国の海人部、山守部の統領なればその子孫たる榛原公も山守部として当地に来てその職当山守部なるが故に、大山津見神を奉齋したものであり。
 明治6年(1873)村社に列せられ、昭和42年(1967)社殿改築し現在に至る。

兵庫県神社庁



小戸神社

小戸は哀倍と訓べし、和名鈔、(郷名部)雄家、(乎倍)また雄上、」釈日本紀に、摂津國風士記曰、雄伴郡、とあり、○祭神詳ならず○小部荘小部村に在す」今小部天神と称す、

神社覈録



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