伊佐具神社
いさぐじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】伊佐具神社 鍬靫 摂津国 川辺郡鎮座

   【現社名】伊佐具神社
   【住所】兵庫県尼崎市上坂部3-25-18
       北緯34度44分55秒,東経135度25分52秒
   【祭神】伊狹城入彦皇子
       『神社覈録』祭神詳ならず

   【例祭】10月22日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創建年代は不詳
       元弘3年(1333)6月赤松円心が陣地を設けた
       明治6年(1873)郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「稻荷神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・社務所

   【境内社】稻荷神社・八幡神社
   【宮寺】真言宗福円山浄徳寺

近松公園の北にある。近松公園には尼崎市最大の前方後円墳伊居太古墳があり、その隣地に伊居太神社も鎮座する。
もとは稲荷神社と称され、現在も境内には本殿と並び同規模の四注造よりなる社殿があり、これを稻荷神社と称しているが、この建物はもと社坊の眞言宗福圓山浄徳寺であった。
延喜式に新羅からの客に賜う神酒を造るための稲を、大和・摂津・河内・和泉より選ばれた12社中の1社として、住吉社に送るとある。当社の神酒は遠く住道社に運ばれ難波館にて供された。


由緒

式内 史蹟 伊佐具神社由緒
御祭神 五十狹城入彦尊 他二柱不詳
配祀 宮八幡宮 金刀比羅神社 愛宕神社 天満宮
末社 白竜稲荷神社(福円山浄徳寺跡)
主神五十狹城入彦尊は景行天皇代10皇子であり武勇にすぐれ御兄日本武尊(熱田神宮御祭神)と共に諸国を平定されたのである。兄宮に勝るとも劣らざる英知の大神にして庶民その偉効に景仰し社殿を営み当地に奉仕されたのであります。
されば昔より今日に至るまで国土の守護神 厄除け開運の御神徳を以て旧川辺郡内筆頭の座に置かれ官幣社として祀られてまいりました。
尼崎市内66社の中で唯一の延喜式内社で神仏混合の社殿五輪塔水輪部 福円山浄徳寺銘入りの鰐口等神仏混合の形をそのままとどめており尼崎市教育委員会から史蹟としてしていされておりますように由緒ある古社であります。
社務所内の長寿殿には縁結びの神 安産の神が奉祀されております。由緒は社務所までおいでください

社頭掲示板




伊佐具神社

『延喜式』(10世紀始めに編さんされた法令集)のなかの神名帳にしるされた摂津国河辺郡七座の第一の神社です。当社は市内で唯一の式内社の格式をもち、祭神は伊狭城入彦皇子といわれています。上坂部・下坂部は大彦命の子孫てある坂合部連が住んでいた土地ともいわれ、久々知の地名も命の子孫久々智氏から名付けられたようです。
当社は朝廷より神酒を賜わる例になっていたといわれ、また神酒を上坂部で醸造したため、酒部といったともいわれています。さらに一説では、神崎の地名が当神社の前という意味の神前から起ったと伝えられています。
またこの地域一帯は、元弘の変(1333)の時後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心ゆかりのところで、境内には円心の墓と伝えられてきた五輪塔も残されています。
尼崎市教育委員会

社頭掲示板



伊佐具神社

伊佐具神社 鍬靭
伊佐具は仮字也〇祭神詳ならず〇御園荘上坂部村に在す、今稲荷明神と称す、(摂津志)
雑事
式廿一、(玄蕃)凡新羅客入朝者、給神酒、其醸酒料稻、摂津國伊佐具社、三十束、送住道社、(全文大和国葛上郡高鴨神社の條見合すべし)

神社覈録



郷社 伊佐具神社

祭神 伊狭城入彦皇子 創立年月詳ならす、(〇明細帳)延喜の制小社に列せらる、神名帳考証に「今称稲荷」と見えたり、明治6年8月郷社に列す、社殿は本殿、拝殿、及社務所等を具備し。境内地は273坪(官有地第一種)あり。

明治神社志料



詳細ボタン


摂津国INDEXへ        TOPページへ



順悠社