余野川の支流の東岸に鎮座している。 神社は木部と呼ばれる地域の山側に鎮座している。名の通り、植樹造園業者が多い地域であり、平地にも養生中の木々がきれいに並んでいる。 この地は日本最古の植木の産地とされている。 式社細川神社は所在不明であったが亨保年中(1716-36)幕府の命によって並川誠所が当社に比定した。それ以前は毘沙門天と称し、久安寺奥院とされていた。 神体は船玉とも擢、梶、艦板の三種ともいう。 |
禰宣制度社 古代の名残である禰宣制度が伝わる。東山から11名、吉田から3名が選ばれ、年長者が一老と称して神職となる。 吉田、東山両村内で男児が出生すると米一斗を添えて一老の許へ屈出ると、一老はその子供の父親の名と子供の名とその生年月日をかねて備付けられた殿位帳に記入する。 殿位というのは、男子の順位という位の意である。 これが数十年後に禰宜になる場合の順位を繰る原簿になる。そしてその時納められた一斗の米は金に替えて一老の許で積立てられる。 |
細川神社 細川は保曽加波と訓べし○祭神詳ならず○細郷谷吉田村に在す、今毘沙門天と称す、 大神宮儀式帳に、大水神御子細川水神 神社覈録 |